2018年8月7日火曜日

5 開眼(1)

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5 開眼



『構え』とは何か?

 それは、ニュートラル・ポジション――中立の位置のことなんだ。

 中立のこの姿勢は、攻撃、防御、移動、すべての動作の中心地となる。
 だから、構えがみだれたらすべてがみだれてしまう。

 逆に、構えをしっかりと保つことができたら、すべてが良くなる。

 すべては『構え』からはじまる――
 そう言っても過言じゃないくらい、構えはボクシングの要(かなめ)なんだ。


 構えに求められるのは、生命的な中立――生きた中立だ。
 とまったまま動かないのは、生命のない物体的な中立だ。それはボクシングの構えに求められる中立じゃない。

 生きた中立というのは、とまることなく、流動的(りゅうどうてき)に動きつづけているんだ。
 中心の付近をゆるやかに偏(かたよ)ることなく動きつづけている。
 それこそが構えに活かされる中立なんだ。

 だからこそ、ボクシングではリズムが重視されているんだ。
 攻撃や防御をしていないときもけっしてとまらない。リズムをとることで構えの姿勢のままやわらかく動きつづける。
 この「ゆるやかに動きつづけている状態」が、生きた中立になる。いつでも瞬時に反応できる状態になる。

 それこそが、本物の『構え』なんだ。



 この構えの理論を、オレは人生にあてはめて考えてみた。

 オレにとってのニュートラル・ポジション、オレの精神の中心地――
 それはやっぱり『いま幸せ』なんだと思う。

 昨年の11月、ある出来事を機に、オレは、誠一くんと賢策くんと3人で、「本当の幸せってなんだ?」ということについて話し合った。
 そして、たどりついた結論が、
「幸せは未来にはない。幸せになりたければ『いま』でなければダメなんだ」
 ということだった。

 それがきっかけとなって、オレはボクシングをはじめた。
 オレはずっとボクシングという競技に憧(あこが)れていた。はじめる勇気を持てずにいたけど、ずっとボクシングが好きだったんだ。
 だからオレの『いま幸せ』は、ボクシング以外には考えられないんだ。

 そしてオレはその気持ちを、生きていくうえでの『構え』にしようと思うんだ。

 つらいことがあったり、なやんだり、落ち込んだり、心が揺れ動くことがあったとしても、
「ボクシングが好き」
 その想いをけっして忘れることなく、その想いを中心にさだめて、この世界を生きていこうと思うんだ。

 きっとそれが、
「自分を見失わない」
「心がぶれない」
 ということだと思うんだ。

 オレは、そう思うんだよ。



 霧山さんの試合の日がやってきた。
 6月の雨が今日も降りそそいでいる。

 オレは俊矢とともに、霧山さんを応援するため後楽園ホールへ足をはこんだ。
 メインイベントの試合が日本タイトルマッチということもあり、席は観客でうめつくされ、立ち見がでるほどの超満員だった。

 オレと俊矢は、会場2階のバルコニーにあがった。
 ここからだと立ち見になるんだけど、通(つう)なボクシング・ファンは、このバルコニーからの観戦を好んでいる。
 ななめ上方から見おろすかたちになり、リング全体を視界にとらえることができるからだ。
 ボクサーのフットワークの道筋(みちすじ)だってここからだとよく見えるんだ。

 霧山さんの試合は、第四試合目だった。

 前座の一試合目から白熱した試合がつづき、大きな歓声があがっている。
 観衆のボルテージは高まり、会場全体が熱気につつまれている。
 ボクサーにとっては最高のファイト環境だ。

 そして、いよいよ第四試合目――霧山さんの出番になった。

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