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霧山さんが赤コーナー側からリングにあがった。
2階バルコニーからも霧山さんがいい顔をしているのが見てとれた。
切れ長の目には自信に満ちた輝きがあり、真一文字(まいちもんじ)に結ばれた口もとは雄々しく引きしまっている。
サムライ然とした凜々(りり)しさが完全にもどっていた。
青コーナー側から対戦相手がリングにあがった。
精悍(せいかん)な顔立ち。
カットの細かい筋肉が全身をおおっていて、調整がうまくいったことを物語っている。
手強(てごわ)い相手と見てまちがいなかった。
試合開始のゴングが鳴った。
両選手がリングの中央に進みでた。
中間距離の間合いで対峙する。
霧山さんは、やや腰を低めに落とし、ガードを高くあげた構えをとっている。
かたさや力(りき)みは感じられない。肩を小さく揺らしてリズムをとり、やわらかい構えを維持している。
対戦相手がワンツー(左ジャブ、右ストレートのコンビネーション)を打ってきた。
速い。するどい踏み込みだ。
霧山さんは構えの姿勢から小さな動作でパリング(払う防御)をし、パンチを受け流した。
反応がいい。余裕をもって防御している。
対戦相手は、ワンツーや、ガゼルパンチ(跳び込みフック)など、踏み込みの速さを活かした攻撃を果敢(かかん)にしかけてくる。
霧山さんは冷静に防御した。
肩を揺らしたやわらかい構えがすばやい防御反応を可能にしている。
「いいぞ、霧山さん! ナイスディフェンス!」
「その調子です! しっかり見切ってますよ!」
オレと俊矢は、リングに声援を贈った。
今日の霧山さんは相手の動きがよく見えているようだ。
霧山さんが、リズミカルな構えから左ジャブを放った。
距離を測(はか)るためのパンチだったけど、きれいにヒットした。
「あれ、すごくよけにくいんですよ」
霧山さんとスパーリングをした俊矢が、自慢げな顔で解説する。
「構えのときの肩を揺らす動作がフェイントみたいになっていて、くるタイミングが読めないんです。あの状態からノー・モーションのジャブを打たれると、まったく反応できないんですよ」
霧山さんの左ジャブが立てつづけにヒットした。
俊矢が言ったとおりだ。霧山さんの動的な構えがフェイントになっていて、相手は反応ができていない。
第1ラウンド終了のゴングが鳴った。
「今日の霧山一拳、思いのほか動きがいいな」
オレのすぐそばで観戦していた男性が、連れに向かって言った。
「とても連敗中の選手には見えないな。何か秘訣(ひけつ)のようなものをつかんで、開眼(かいがん)したのかもしれないな」
オレと俊矢は顔を見合わせ、微笑み合った。
霧山さんがつかんだ秘訣を知っているオレたちは、なんとも言えず誇らしげな気持ちだった。
そして、霧山さんの開眼を自分のことのようにうれしく思った。
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