1 スランプ
霧山(きりやま)さんがスランプだった。
今日もまた、滝本(たきもと)さんの怒声(どせい)がジムに響きわたる。
「立ち方をみだすな! しっかり構えろ!」
練習生のオレの目から見ても、霧山さんの動きはガタガタだった。
攻撃は乱雑で威力がなく、防御は反応がおそくてよけきれていない。
霧山さんは、3週間後に試合をひかえていた。
調整のために残された時間はあとわずかだった。
なのに復調の兆(きざ)しは見られない。それどころか日増しに動きがわるくなっていく。
ちかごろの霧山さんは顔が深刻に強張(こわば)っていて、まよいと苦悩が目に見えてあらわれていた。
霧山さんは、オレにとって兄弟子(あにでし)のような存在だ。
その霧山さんが不調で苦しんでいる。
見ているのがつらくて、なんとか力になれないものか、と思わずにはいられない。
だけど、練習生のオレにできることなんて何もなかった。
***
七ヶ月前――昨年の11月に、オレは月尾(つきお)ボクシングジムに入門した。
プロ志望者には入門してから約3週間、精神的な試練を与えるのが月尾ジムの方針だ。
試練というのは「立ち方しか教えず、毎日それだけをくり返し練習させる」というものだ。
ゆるされている練習は、両手を腰に当てて半身(はんみ)をとり、前後に移動するだけ――これは、精神的に追い詰められる試練だった。
同期で入門したほかの練習生がミットやサンドバッグを打たせてもらっているのに、プロを志(こころざ)している自分には拳(こぶし)を構えることさえゆるされない。
オレはあまりのつらさに心が折れそうになった。
でも、幸(さいわ)いなことにオレにはふたりの親友がいた。
誠一(せいいち)くんと、賢策(けんさく)くんだ。
ふたりが親身になって励(はげ)ましてくれたおかげで、オレはあきらめることなく、なんとか試練を突破することができたんだ。
そしてオレは、正式にプロ候補生になった。
オレの指導は、滝本さんがつくことになった。
滝本さんはすでにひとり、プロの選手を担当していた。
その選手というのが霧山さんだった。
「カツオ――」
滝本さんは、オレと霧山さんを引き合わせて言った。
「おまえにとっては直系の先輩だ。何かと世話になるだろう。ちゃんと自己紹介しておけ」
オレは緊張しながら、初対面の先輩に向かって言った。
「田中勝男(たなか かつお)です。プロ志望ではいりました。高校2年生です。ミニマム級でやる予定です。よろしくお願いします」
霧山さんは、オレの目を見つめている。
まるで時代劇の主人公みたいだ――それが霧山さんの第一印象だった。
切れ長の目、真一文字(まいちもんじ)に結ばれた口もと。
背筋がまっすぐ伸びていて立ち姿が堂々としている。
やがて、霧山さんは物静かな声で言った。
「自分は霧山一拳(きりやま いっけん)。……よろしく」
「自分は霧山一拳(きりやま いっけん)。……よろしく」
霧山さんの自己紹介はそれだけだった。
けっして不機嫌だったわけでも、他意(たい)があったわけでもない。
あとでわかったことなんだけど、霧山さんはいつだって必要最低限の言葉しか口にしない人なんだ。
ちなみに『一拳』という名前は、リングネームじゃなくて本名だ。
霧山さんのお父さんは空手の師範で、お兄さんは師範代――つまり霧山さんの実家は空手の道場なんだ。
『一拳』なんていかにもボクサーのリングネームって感じだけど、実際は空手家のお父さんによる命名なんだ。
オレがプロ候補生になったとき、霧山さんはプロのリングで6戦していた。
階級はフェザー級。
四回戦の試合を4連勝。そのうち3試合をノックアウトで勝っている。
その後、B級に昇格し、六回戦で試合をやるようになった。
六回戦になってからは、2戦して2引き分け――
まけてはいないものの、勝つこともできずにいた。
オレが霧山さんの試合をはじめて観たのは、昨年の年末だった。
会場は後楽園ホール――格闘技の殿堂(でんどう)だ。
試合の数日前、オレは霧山さんに激励(げきれい)の言葉をかけた。
「今度の試合、がんばってください! オレ、応援に行きます!」
すると霧山さんは、
「六回戦は、相手も強い……勝つのがむずかしくなった」
と険(けわ)しい声でつぶやいた。
オレはそのとき、いやな予感がした。
そして、その予感は的中した。
続きを読む
更新
2019年11月22日 画像を改訂。