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4 霧山一拳のボクシング
その翌日から、霧山さんの動きが見ちがえるように良くなった。
しっかり半身(はんみ)をとって立ち、ガードを高くあげ、構えをくずさないように意識している。
ガードを高くあげているけど、力(りき)みはない。肩を小さく揺らすようにしてリズムをとっている。
リズムのとり方はボクサーによってさまざまだ。
小刻みにステップを踏み、脚(あし)でリズムをとるボクサーもいる。
頭を小さく左右に振り、上体でリズムをとるボクサーもいる。
霧山さんは、肩を揺らしてリズムをとるタイプだ。
そのリズムのとり方は、1980年代、中量級黄金時代をになったマーベラス・マービン・ハグラーに似ている。
肩から生じたリズムは上体から脚へと浸透し、全身の筋肉をやわらかくしていた。
そのやわらかい構えは、霧山さんのボクシングのすべてを向上させた。
パンチが正確になり、キレが良くなった――
防御の反応が良くなり、余裕をもって見切れるようになった――
隙(すき)のない移動ができるようになった――
あの日の帰り道、オレは「もうだいじょうぶだ」って確信したけど、まさかこんなにも変わるなんて、正直、思ってもみなかったよ。
きっと、霧山さんにとって構えは最後のピースだったんだ。
空手道場の家に生まれ、幼い頃から武道に親(した)しんできた霧山さんは、もともと格闘技のセンスは抜群(ばつぐん)なんだ。
そこに構えに対する理解が加わったことで『霧山一拳のボクシング』が完成したんだと思う。
滝本さんが言っていたことは、まぎれもない真実だった。
構えは攻撃、防御、移動、あらゆる動作の中心地なんだ。
だから、構えがしっかりしていると、すべての動作に良い影響をもたらすことになる。あらゆる面において安定する。
いまの霧山さんが、それを証明していた。
俊矢とまたスパーリングをやった。
だけど、前回とはまったくちがう内容だった。
構えがくずれない霧山さんは、俊矢が果敢(かかん)に攻めてきても落ち着いて防御し、柔軟(じゅうなん)に攻撃をさばいた。
俊矢が一瞬でも隙を見せると、ガードの高い構えから、キレのいいパンチを正確にたたき込んだ。
特に、右ストレートはするどく決まっていた。
俊矢のほうが手数(てかず)が多く、たくさんパンチをだしていた。
にもかかわらず、ヒットするのは霧山さんのパンチばかりだった。
格のちがいを見せつけるかのようなスパーリングだった。
こうして、霧山さんはスランプから脱出した。
試合までの日数は残りわずかだけど、いい状態で調整を終えることができそうだった。
あとは、結果をだすこと――
それだけだった。
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