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滝本さんは厳格な顔にもどり、霧山さんに視線を向けた。
「よく聞け、一拳。ボクシングにおける構えはニュートラル・ポジション――中立の位置のことなんだ。
中立のこの姿勢は、攻撃、防御、移動の中心地にあたる。どんな動作もすべてこの姿勢からはじまるんだ。だから、この中立の姿勢がみだれたら、すべてがみだれることになる――
そしてそれが、いまのおまえに起こっていることだ!」
「…………!」
霧山さんは愕然(がくぜん)となっている。
「わかるか、一拳」
滝本さんはつづけて言う。
「競技として闘うことが前提になっているボクシングにおいては、かたちのある構え――肉体的な構えが重要なんだ。おまえに欠けているのは、このことに対する理解だ。
あえて厳しい言い方をさせてもらうが、おまえは精神論に偏(かたよ)りすぎて、体の構えを軽視しているんだ」
「自分は、けっしてそんなことは……」
「ないとは言わせないぞ。俺は、おまえが調子をくずしはじめたときからずっと構えを正すように言ってきたんだからな」
それは事実だった。試合においても、練習においても、滝本さんは「しっかり構えろ」、「スタンス(立ち方)をみだすな」という言葉を、何度もくり返し霧山さんに投げかけていた。
だけど、霧山さんの構えがみだれる悪癖はなおらなかった。
体の構えを軽視していたと言えばそのとおりなんだと思う。
霧山さんも事実を認めたようだった。
ショックを受けた様子で、うなだれている。
「一拳、顔をあげろ。話はまだ終わりじゃない」
滝本さんは、顔をふせている霧山さんの視線をあげさせた。
そして、オレに向かってビデオのつづきを再生するように命じた。
オレは一時停止を解除した。
テレビの画面にスパーリングのつづきが映しだされる。
俊矢のパンチを、霧山さんがまともにもらっているシーンからだった。
テレビの音声が、滝本さんの怒声(どせい)を再現する。
『あせるな、一拳! ガードをあげて、しっかり構えろ!』
この指示に、霧山さんはしたがった。ガードをあげて構えをとる。
だけど俊矢の猛攻は防げない。ガードの隙間(すきま)からフックやボディブローを打ち込まれ、ずるずると後退していく。
『ちがう、一拳! ガチッとかたまるんじゃない! 構えをとるんだ!』
テレビが発する滝本さんの声が、歯がゆそうに叫んだ。
「カツオ、もういい、とめろ。……いや、消せ。これ以上、見る必要はない」
オレは再生を停止し、テレビを消した。
音が消えて、室内が静まり返る。
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