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3 ボクシングにおける構えとは?
会議用テーブルをはさんで霧山さんと滝本さんの視線がぶつかった。
そのまま睨(にら)み合う。
真剣勝負のような緊張感だった。
張り詰めた沈黙――
やがて、霧山さんは毅然(きぜん)とした声で言った。
「構えとは、心の構えのこと――すなわち、いかなるときも闘う意志を持っている精神のことです。
ゆえに、真(しん)の構えとは『構えなくして構えあり』です。それは肉体的な構えではなく、闘志をつねとする心の状態を意味しています」
オレは霧山さんの言葉に聞きいってしまった。
すごい、と思った。哲学的というか武道的というか、とにかく内容が深くて、ただただ「すごい」と思った。さすが空手の有段者だ。
でも、テーブルの向かい側に座っている滝本さんはちがった。
ため息まじりに苦笑して、顔を小さく横に振っている。
「それだよ、一拳……その構えに対する考え方が、おまえのすべてをくるわせているんだ」
「……自分の考え方が、まちがっていると言うのですか!?」
「まちがってるわけじゃねぇよ。いかにも武道家らしい考え方だと思うよ。
だがな、ボクサーとしてはいささか精神論に偏(かたよ)りすぎているのも事実だ」
「…………」
「武道はもともと競技じゃねぇから、いつ敵に襲われても闘えるように心の準備を重視するのはよくわかる。
だがな、ボクシングは競技格闘技なんだよ。闘いのプロフェッショナル同士が、対戦する日時を決め、体重をそろえ、条件を五分(ごぶ)にして、リングという名の檻(おり)のなかで雌雄(しゆう)を決するんだ。
闘いに対する心構えなんてものは『あって当たり前』の世界なんだ!」
霧山さんは驚いた顔になっている。
オレだっておなじ気持ちだ。滝本さんの言葉にはガツンとくるような衝撃と重みがあった。
「カツオ」
滝本さんが視線をオレのほうに向けた。
「おまえは、構えとはどういうことだと思う?」
オレはぎょっとなった。
たったいま霧山さんが哲学的な深い答えを言い、それを否定されたばかりじゃないか。
こんな空気のときに何を言えばいいんだ……。
滝本さんは睨むような目でオレの顔を凝視(ぎょうし)している。わかりません、なんて答えたら怒鳴られるのはあきらかだ。
オレは観念して、自分の価値観どおりの答えを言った。
「……構えというのは、攻撃、防御、移動が、すぐにできる体の姿勢のことだと思います」
われながら浅い答えだと思った。
オレはきまりがわるくなり、滝本さんに怒鳴られるのを覚悟して首をすくめた。
でも、怒声(どせい)はとんでこなかった。
それどころか、滝本さんの顔には満足げな笑みがこぼれている。
「正解だ、カツオ。それこそがボクシングにおける構えの意味だ」
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