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それからの霧山さんは、さらにひどいスランプになった。
不安、あせり、何をやってもうまくいかないことに対する苛立(いらだ)ち――
ネガティブな感情に突き動かされ、ハード・トレーニングで自分を追い込んでいく。
でも、心がネガティブな状態でがんばっても、ネガティブな結果にしかならないんだ。
必死になってがんばるほど、調子はどんどん落ちていった。
絶不調のなか、霧山さんは次の試合を早く決めてくれるよう、月尾(つきお)会長に懇願した。
霧山さんは結果を求めてあせっている。
でも、いまの状態のまま試合をやっても結果がだせるとは思えない。
会長は、霧山さんの願いをしりぞけた。
だけど、霧山さんは引かなかった。
何度も、懸命に、執拗(しつよう)に頼み込んだ。
やがて、会長は折れた――条件つきで。
「もし次の試合でまけたら、もう二度とおまえの試合は組まない」
それは事実上の引退勧告だった。
そして霧山さんは、この条件をのんだ。
こうして六月下旬に次の試合をやることが決まった。
まけたら引退……。
だけど、霧山さんの調子が上向く気配はない。
それどころか、試合が決まったことで気負(きお)いが強まり、さらなる負(ふ)の連鎖を引きおこしていた。
そして、試合は3週間後にせまっていた。
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湿っぽい季節だった。
降りつづく雨のせいで空気がじめじめしている。
気分まで滅入(めい)るような気候だ。
とはいえ、オレの心が沈んでいるのは気候のせいばかりじゃない。
霧山さんのことが気がかりだった。
試合まであとわずかしかないというのにスランプの泥沼からぬけだせずにいる……。
オレは、いつものように自転車でジムに向かった。
レインウェアをまとって自転車に乗ると、サウナスーツを着てフィットネスバイクをこいでいるみたいな感じになって、蒸(む)れた汗をかく。
……ま、ある意味いい減量トレーニングだけどね。
ジムにはいるとすぐに、トレーナーの滝本さんがオレのところへやってきた。
「カツオ、今日は着替えなくていい。ちょっと頼まれてくれ」
着替えなくていい、というのは「今日は練習を休め」という意味だった。
滝本さんはつづけて言う。
「これから一拳がスパーリングをやる。これを機に一拳の目を覚まさせてやりてぇんだ。わるいが手伝ってくれ」
「オレは、何をすればいいんですか?」
「ビデオ係だ。一拳のスパーリングをビデオで撮影してほしい。頼まれてくれるか?」
オレは滝本さんの意図を察した。
滝本さんは、霧山さんの現状を本人に見せて、正すべき点を自覚させるつもりなんだ。
いまの霧山さんに必要なのはハード・トレーニングではなく、自分自身に対する理解だ――滝本さんはそう判断したのだろう。
もとよりオレは、霧山さんのために何かできることがあるのならどんなことでもやるつもりだ。
「わかりました! ぜひやらせてください!」
オレは、声を大(だい)にして答えた。
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