2018年6月26日火曜日

1 スランプ(3)

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 はじめての敗北――
 霧山さんの精神的なショックは計り知れないほどに大きかった。
 顔はやつれ、目は落ちくぼみ、思い詰めた表情が張りついている。

 霧山さんは、いままで以上にハード・トレーニングをするようになった。
 でもそれは、うまくいかない焦燥感(しょうそうかん)にせきたてられてのことだった。

 不安にとりつかれた状態でたくさん練習しても効果はでない。
 むしろ逆効果だった。
 オーバーワーク(過剰練習)も加わって霧山さんはますます体調をくずしていく。
 すべてが悪循環だった。

 そして、霧山さんはスランプになった。



 4月中旬――
 霧山さんが再起戦にいどんだ。

 六回戦。
 場所は後楽園ホール。

 はっきり言って、ひどい試合だった。
 気負(きお)いのせいで霧山さんはガチガチに力(りき)んでいた。
 パンチをぶんぶん振りまわしながら猪武者(いのしし・むしゃ)のように前進する。

「一拳、落ち着け! しっかり構えてから打て!」

 セコンドの滝本さんが盛んに叫んでいた。
 だけど、霧山さんの動きは変わらなかった。
 パンチを素人(しろうと)みたいに振りまわしては空振りし、さらにはカウンターまでとられていた。


 試合は、最初からずっと一方的だった。

 オレは観客席に着いたまま、呆然(ぼうぜん)とリングを見つめていた。
 声援はでてこない。
 霧山さんのボクシングはプロの闘いとは言えなかった。まるで素人(しろうと)のケンカだった。
 オレには贈るべき言葉が見つからなかった。

 第4ラウンドと、最終第6ラウンドに、霧山さんはダウンした。
 それでも霧山さんは立ちあがって闘いつづけた。

 試合は、判定による決着となった。

 正直、結果は聞くまでもなかった。
 霧山さんの勝ちはあり得ない。
 時代劇俳優のような凜々(りり)しい顔は見る影もなくなっている。パンチをもらいつづけたために腫(は)れあがり、フランケンシュタインのような相貌(そうぼう)になっていた。
 なんとかノックアウトされずに最後までがんばった、というのが率直(そっちょく)な試合内容だった。

 判定の結果は、予想どおりだった。

 対戦相手が強かったわけじゃない。
 霧山さんがわるすぎたんだ。

 自滅のような敗戦だった。

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