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はじめての敗北――
霧山さんの精神的なショックは計り知れないほどに大きかった。
顔はやつれ、目は落ちくぼみ、思い詰めた表情が張りついている。
霧山さんは、いままで以上にハード・トレーニングをするようになった。
でもそれは、うまくいかない焦燥感(しょうそうかん)にせきたてられてのことだった。
不安にとりつかれた状態でたくさん練習しても効果はでない。
むしろ逆効果だった。
オーバーワーク(過剰練習)も加わって霧山さんはますます体調をくずしていく。
すべてが悪循環だった。
そして、霧山さんはスランプになった。
4月中旬――
霧山さんが再起戦にいどんだ。
六回戦。
場所は後楽園ホール。
はっきり言って、ひどい試合だった。
気負(きお)いのせいで霧山さんはガチガチに力(りき)んでいた。
パンチをぶんぶん振りまわしながら猪武者(いのしし・むしゃ)のように前進する。
「一拳、落ち着け! しっかり構えてから打て!」
セコンドの滝本さんが盛んに叫んでいた。
だけど、霧山さんの動きは変わらなかった。
パンチを素人(しろうと)みたいに振りまわしては空振りし、さらにはカウンターまでとられていた。
試合は、最初からずっと一方的だった。
オレは観客席に着いたまま、呆然(ぼうぜん)とリングを見つめていた。
声援はでてこない。
霧山さんのボクシングはプロの闘いとは言えなかった。まるで素人(しろうと)のケンカだった。
オレには贈るべき言葉が見つからなかった。
第4ラウンドと、最終第6ラウンドに、霧山さんはダウンした。
それでも霧山さんは立ちあがって闘いつづけた。
試合は、判定による決着となった。
正直、結果は聞くまでもなかった。
霧山さんの勝ちはあり得ない。
時代劇俳優のような凜々(りり)しい顔は見る影もなくなっている。パンチをもらいつづけたために腫(は)れあがり、フランケンシュタインのような相貌(そうぼう)になっていた。
なんとかノックアウトされずに最後までがんばった、というのが率直(そっちょく)な試合内容だった。
判定の結果は、予想どおりだった。
対戦相手が強かったわけじゃない。
霧山さんがわるすぎたんだ。
自滅のような敗戦だった。
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