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作戦ミスなんて結果論だ
誠一と賢策は、ゴングと同時にふうっと息をついた。
賢策が驚嘆(きょうたん)して言う。
「すごいな、これがボクシングなのか……正直、こんなにもハードだとは思わなかったよ」
「いや、これは特別だ――」
誠一は言う。
「こんな壮絶(そうぜつ)な闘いは、プロの試合でもそうそうあるもんじゃない。さすがカツオにボクシングをあきらめることを考えさせた男だ。想像をはるかにうわまわる強敵だ!」
インターバルにはいり、俊矢はビデオの撮影を一時停止にした。
おもわずため息がもれる。
「カツオさん、ピンチでしたね。次のラウンド、だいじょうぶでしょうか……」
霧山が、険(けわ)しい表情で言う。
「ペースは完全に大賀選手がにぎっている。きびしいラウンドになるだろう」
「星乃塚さんが言ったとおり、距離をとってアウトボクシングをしながら得意なストレートパンチを打っていくべきでしたね。あれだけのダメージを与えていたのですから、ストレートを打てばガードの上からでも効かせられたはずです」
「俊矢、そいつは結果論ってやつだぜ」
星乃塚は言う。
「いまになってみれば、俺の指示が正しかったと言えるだろう。だからと言って滝本さんの判断がまちがってたわけじゃない。あれだけ大きなダメージを与えた直後なら、間(ま)をおかずにラッシュをするのは定石(じょうせき)なんだ。うまくいった可能性はおおいにある。
うまくいかなかったのは、大賀烈という男が想定外の回復力をもっていたからだ。想定外のことがなければ滝本さんの指示は当たっていたはずだ。
あの作戦はまちがっていた、こっちの指示が正しかったなんて考えは、すべて結果論だ」
カツオが重い足どりで青コーナーにもどってきた。
ボディを打たれたダメージもあるだろうが、それ以上にあのチャンスをものにできなかった落胆(らくたん)がカツオの足を重くしている。
滝本トレーナーは胸が痛んだ。自分の指示が適切であれば逆転されることはなかったのだ。
だが、自己嫌悪にひたっているひまはない。
闘いはまだ終わっていないのだ。
「いいか、カツオ――」
滝本トレーナーは指示を与える。
「もう一度、あのワンツーを決めるぞ。最初から仕切り直しだ。ラウンドの開始時は、はなれた間合いからはじめることができる。
フットワークを使いながらノー・モーションのパンチを放って、相手がクロス・アームブロックをするようにしむけろ。そして距離が近づいたら、相手がクロス・アームブロックを解(と)く瞬間を狙え。
だいじょうぶだ、今度もかならず決まる。何度やっても成功するだけの精度が、おまえの技にはある。
おまえならできる!
おまえなら勝てる!
自分を信じて、もう一度あれを決めるんだ!」
「はい!」
カツオの目に光がともった。
滝本トレーナーの言葉によって勝利のイメージがカツオの心に呼び起こされたのだ。
「会長、教えてくれ……いったい何があったんだ?」
烈は赤コーナーにもどってくるなり、困惑した様子で尋(たず)ねてきた。
「あのステップを使って田中選手をロープ際に追い詰めた。そこまではおぼえている。だが、気がついたら田中選手をロープに押し込むようにして密着していた。
あわてて攻撃を開始したが思うように力がはいらねぇ。まあ、ラウンドの終盤はだいぶ動けるようになってきたけどな」
片倉会長は心底(しんそこ)驚いた。
あの変則ワンツーをもらった瞬間に烈は意識をうしなっていたのだ。
意識をなくした烈は、無意識のまま立ちあがり、無意識のまま防御して、無意識のまま最大のピンチを切りぬけた。
片倉会長が発した『ファイトタイプE』の指示にしたがって間合いをつぶしにいったように見えたが、実際はちがっていた。あれは片倉会長の指示にしたがったわけではなく、烈の本能だったのだ。
こいつ、根っからのファイターだぜ……。
片倉会長は1ラウンド目の出来事(できごと)を話し、烈の意識の空白をうめた。
ダウンをしたという事実を知った烈の反応は、驚くほど冷静だった。
「やはりそうか……そうじゃないかと思ったよ。
まさか、おれからダウンを奪うとは……田中選手をあまく見てたな」
「俺もだよ、烈。あんな技を使ってくるとは完全に予想外だった。
だが、わざわい転じて福と成すとはこのことだ。おかげで彼の攻撃を封じる方法が明らかになった」
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