2018年10月6日土曜日

このスパーリングは倒すか倒されるかの真剣勝負だ!(1)


第一章




このスパーリングは倒すか倒されるかの真剣勝負だ!



 最初から無礼な男だった。
 初対面だというのに、上目(うわめ)づかいでカツオをまっすぐ睨(にら)みすえたまま視線をそらさない。
 刃物のようにギラギラ輝く眼光――まるでにくい敵(かたき)を見るような目だ。

 そして、この態度、この言葉、この挑発……。

 上等だよ!
 そっちがその気なら、やってやる!

 カツオは、ふつふつと戦意がわきあがってくるのを感じた。
 燃えたぎる闘志によって、身震いするほど心身が高揚している。

 そうだ、これは練習なんかじゃない! 実戦だ!
 倒すか倒されるかの真剣勝負だ!



「カツオ、おまえとスパーをするために、よそのジムから出稽古(でげいこ)にくることになったぞ」

 滝本(たきもと)トレーナーからそう告げられたのは、昨日のことだった。
 カツオが15ラウンドの練習を終えて、整理運動をしているときだった。

「相手はすでに2戦している選手だ。パンチが強いらしいぞ」

「えっ! その人、プロなんですか!?」


 カツオは驚きをあらわに訊(き)き返した。
 カツオはプロ候補生とはいえ、まだ練習生なのだ。
 練習生とスパーリングをするためにプロがわざわざ出向いてくるなんて、めずらしいことだった。

「そうだ、プロのボクサーだ。名前は、なんて言ったかな……マネージャー」
 滝本トレーナーは、神保(じんぼ)マネージャーを呼んだ。

 神保マネージャーは、月尾(つきお)ジムの経営を一手にになっている人物だ。
 34歳。眼鏡をかけた知性的な顔立ち。いつもスーツ姿で、夏真っ盛りのいまもそれは変わらない。見た目の印象はボクシングの関係者というより『やり手のビジネスマン』といった感じだ。
 経営の手腕だけではなくマッチメイカーやトレーナーとしても優秀で、見た目どおりの『仕事ができる男』だった。

「名前、ですか――」
 神保マネージャーは、右手の中指で眼鏡のずれを直し、言った。
「大賀烈(おおが れつ)くんですよ。四回戦で2戦して、2戦ともノックアウトで勝利しています。所属はエムビージムです」

 大賀烈という名前に聞きおぼえはなかった。まだ四回戦の選手なのだから知名度がないのは当然だろう。
 それに、エムビージムというのも聞いたことがないジムだった。

 そんなカツオの思考を読みとったかのように、神保マネージャーは説明をはじめた。
「エムビージムは数年前にできたばかりですので、ボクシング界でもほとんど知られていません。大賀くんがエムビージムで初のプロテスト合格者であり、そして、エムビージムでただひとりのプロボクサーです」

 神保マネージャーによると、エムビージムではプロボクサーは大賀烈しかおらず、スパーリングの相手がいなくてこまっているらしい。
 そのため、たびたびほかのジムに出稽古におもむいて、スパーリングをさせてもらっているのだという。

「先日、たまたまエムビージムの会長さんとお話しする機会がありましてね。スパーリングができないのではさぞかしおこまりだろうと思い、私のほうからこう切りだしたのです、『ウチのジムにちょうどいいのがいますよ。よかったらスパーリングをやってみませんか?』と」

「……ほんとにオレなんかでよかったんですか? オレ、まだ練習生なんですよ」

 カツオが恐縮(きょうしゅく)して言うと、神保マネージャーは口もとに笑みを浮かべた。

「いえいえ、カツオくんだからいいんですよ。カツオくんはプロになったらミニマム級でやる予定ですが、大賀くんもミニマム級の選手――そう、おなじ階級なんです。
 最軽量級のミニマムのボクサーはなかなかいませんからね。ただでさえスパーリングの相手がいない大賀くんにとって、おなじ階級の対戦相手はとても貴重なんですよ」

「オレは希少価値で選ばれたんですか?」

「もちろんそれだけではありませんよ。
 カツオくんのボクシング・スタイルがスピードの速いアウトボクサー・タイプだと言ったら、エムビージムの会長さん、目の色を変えて食いついてきましてね。『ぜひお願いします』と頼み込んできたんです。
 エムビージムでは、実戦練習の相手としてスピードの速いアウトボクサーをずっとさがしていたみたいですね」

「そうでしたか」

「それに、大賀くんとのスパーリングは、こちらにとってもまたとない好機ですからね」

「……それって、どういうことですか?」

 神保マネージャーはカツオの問いには答えず、意味深な微笑を浮かべた。
 滝本トレーナーはカツオから目をそらし、気まずそうな顔をしている。
 このふたり、なにやらカツオに隠し事をしているようだ。

 しかし、そのことをカツオが気にするよりもはやく、
「ちなみに、大賀くんがくるのは明日です」
 と神保マネージャーがさらっと告げたことによって、カツオの頭のなかはスパーリングのことでいっぱいになった。

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