第一章
このスパーリングは倒すか倒されるかの真剣勝負だ!
最初から無礼な男だった。
初対面だというのに、上目(うわめ)づかいでカツオをまっすぐ睨(にら)みすえたまま視線をそらさない。
刃物のようにギラギラ輝く眼光――まるでにくい敵(かたき)を見るような目だ。
そして、この態度、この言葉、この挑発……。
上等だよ!
そっちがその気なら、やってやる!
カツオは、ふつふつと戦意がわきあがってくるのを感じた。
燃えたぎる闘志によって、身震いするほど心身が高揚している。
そうだ、これは練習なんかじゃない! 実戦だ!
倒すか倒されるかの真剣勝負だ!
*
「カツオ、おまえとスパーをするために、よそのジムから出稽古(でげいこ)にくることになったぞ」
滝本(たきもと)トレーナーからそう告げられたのは、昨日のことだった。
カツオが15ラウンドの練習を終えて、整理運動をしているときだった。
「相手はすでに2戦している選手だ。パンチが強いらしいぞ」
「えっ! その人、プロなんですか!?」
カツオは驚きをあらわに訊(き)き返した。
カツオはプロ候補生とはいえ、まだ練習生なのだ。
練習生とスパーリングをするためにプロがわざわざ出向いてくるなんて、めずらしいことだった。
カツオはプロ候補生とはいえ、まだ練習生なのだ。
練習生とスパーリングをするためにプロがわざわざ出向いてくるなんて、めずらしいことだった。
「そうだ、プロのボクサーだ。名前は、なんて言ったかな……マネージャー」
滝本トレーナーは、神保(じんぼ)マネージャーを呼んだ。
神保マネージャーは、月尾(つきお)ジムの経営を一手にになっている人物だ。
34歳。眼鏡をかけた知性的な顔立ち。いつもスーツ姿で、夏真っ盛りのいまもそれは変わらない。見た目の印象はボクシングの関係者というより『やり手のビジネスマン』といった感じだ。
経営の手腕だけではなくマッチメイカーやトレーナーとしても優秀で、見た目どおりの『仕事ができる男』だった。
「名前、ですか――」
神保マネージャーは、右手の中指で眼鏡のずれを直し、言った。
「大賀烈(おおが れつ)くんですよ。四回戦で2戦して、2戦ともノックアウトで勝利しています。所属はエムビージムです」
大賀烈という名前に聞きおぼえはなかった。まだ四回戦の選手なのだから知名度がないのは当然だろう。
それに、エムビージムというのも聞いたことがないジムだった。
そんなカツオの思考を読みとったかのように、神保マネージャーは説明をはじめた。
「エムビージムは数年前にできたばかりですので、ボクシング界でもほとんど知られていません。大賀くんがエムビージムで初のプロテスト合格者であり、そして、エムビージムでただひとりのプロボクサーです」
神保マネージャーによると、エムビージムではプロボクサーは大賀烈しかおらず、スパーリングの相手がいなくてこまっているらしい。
そのため、たびたびほかのジムに出稽古におもむいて、スパーリングをさせてもらっているのだという。
「先日、たまたまエムビージムの会長さんとお話しする機会がありましてね。スパーリングができないのではさぞかしおこまりだろうと思い、私のほうからこう切りだしたのです、『ウチのジムにちょうどいいのがいますよ。よかったらスパーリングをやってみませんか?』と」
「……ほんとにオレなんかでよかったんですか? オレ、まだ練習生なんですよ」
カツオが恐縮(きょうしゅく)して言うと、神保マネージャーは口もとに笑みを浮かべた。
「いえいえ、カツオくんだからいいんですよ。カツオくんはプロになったらミニマム級でやる予定ですが、大賀くんもミニマム級の選手――そう、おなじ階級なんです。
最軽量級のミニマムのボクサーはなかなかいませんからね。ただでさえスパーリングの相手がいない大賀くんにとって、おなじ階級の対戦相手はとても貴重なんですよ」
「オレは希少価値で選ばれたんですか?」
「もちろんそれだけではありませんよ。
カツオくんのボクシング・スタイルがスピードの速いアウトボクサー・タイプだと言ったら、エムビージムの会長さん、目の色を変えて食いついてきましてね。『ぜひお願いします』と頼み込んできたんです。
エムビージムでは、実戦練習の相手としてスピードの速いアウトボクサーをずっとさがしていたみたいですね」
「そうでしたか」
「それに、大賀くんとのスパーリングは、こちらにとってもまたとない好機ですからね」
「……それって、どういうことですか?」
神保マネージャーはカツオの問いには答えず、意味深な微笑を浮かべた。
滝本トレーナーはカツオから目をそらし、気まずそうな顔をしている。
このふたり、なにやらカツオに隠し事をしているようだ。
しかし、そのことをカツオが気にするよりもはやく、
「ちなみに、大賀くんがくるのは明日です」
と神保マネージャーがさらっと告げたことによって、カツオの頭のなかはスパーリングのことでいっぱいになった。
続きを読む