2018年10月9日火曜日

このスパーリングは倒すか倒されるかの真剣勝負だ!(2)

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 カツオは更衣室で着替えをすませ、練習場へでた。
 拳(こぶし)にバンデージ(包帯)を巻いていく。
 いつからそうなったのかはわからないが、『バンデージを巻くのは更衣室ではなく練習場で』というのが月尾ジムの慣習だった。

 練習場では、すでにプロの選手や練習生たちが練習をはじめている。
 熱のこもったひとりひとりの練習が真夏の暑さに拍車(はくしゃ)をかけ、ジムに活気を与えていた。

 カツオが右の拳にバンデージを巻き終えたとき、
「カツオさん、ちわっす」
 と、山木俊矢(やまき としや)が練習場にやってきて、カツオのとなりにならんだ。

 俊矢は、カツオと同期のプロ候補生だ。
 フェザー級(およそ57.1キロ)でやる予定で、身長は169センチあり、カツオより9センチも高い――ミニマム級のカツオとならぶと、ふたまわり以上、体が大きく見える。
 潤(うる)みがちな瞳と真ん中から分けられた黒髪によって『おとなしそうな好青年』という印象を受ける。しかし、ひとたびリングにあがると野獣のように荒々しいファイトをする男だった。


「カツオさん、聞きましたよ」

 俊矢が拳にバンデージを巻きながら、話しかけてきた。
 年齢はカツオとおなじ18なのだが、カツオのことを先輩として敬(うやま)い、『カツオさん』と呼んでいる。
 実際のところ、俊矢よりも2ヶ月はやく入門しただけで事実上はまったくの同期なのだが、それでもカツオに対してはつねに敬語で接している。
 真面目(まじめ)で、謙虚で、実直――俊矢とは、そういう男だった。

「聞いたって、何を?」
 問い返しながら、カツオは左の拳にバンデージを巻いていく。

 俊矢はカツオのとなりでバンデージを巻きながら、言った。
「スパーリングのことですよ。今日、よそのジムからプロの選手がくるそうじゃないですか」

「そうなんだよ。まだ練習生のオレと対戦するためにプロのほうから出向いてくれるなんて本当にありがたいよね。
 どんなボクサーなんだろう……はやく拳をまじえてみたくて、すごくワクワクしてるよ」

「ワクワクですか……さすがカツオさんですね。おれがカツオさんの立場だったら、いまごろ緊張しまくってますよ」

「もちろん緊張はしてるよ。これから実際に殴り合うんだしね。
 でも、恐怖や不安よりもワクワクのほうがまさっていて、『いい緊張感』って感じなんだよね」

「さすがです! なんて言うか、『やっぱりカツオさんだ』って感じですね!」

「それ、どういう意味?」

「カツオさんのボクシング愛には、誰も敵(かな)わないってことですよ」
 俊矢の顔に笑みがこぼれた。
 カツオに対する敬意と好意があふれでている笑顔だった。
「それで、今日の相手って、どんなボクサーなんですか?」

「プロですでに2勝していて、パンチが強いらしい」

「パンチが強いってことは、やっぱりファイター・タイプなんですか?」

 ファイター・タイプというのは、果敢(かかん)に前にでて接近戦にもち込むファイト・スタイルのことだ。

「どうなんだろう……」
 カツオは答える。
「オレが聞いてる情報はそれぐらいで、ほかは何もわかっていないんだ」

「では、もうひとつだけ情報を提供しましょう」

 とつぜん背後から声をかけられた。
 後ろを振り返ると、ビジネスマン然としたスーツ姿の男性が立っていた。

「マネージャー!」
 カツオは驚きをあらわに言った。
「いきなり声をかけないでくださいよ。びっくりするじゃないですか。いつからいたんですか?」

「ええっと、たしか俊矢くんが『聞きましたよ』と言ったあたりからですかね」

「おもいっきり最初からじゃないですか」

「カツオくんと俊矢くんが話に夢中になっていたので、声をかけるタイミングがつかめなかったんですよ」

 とか言いながら、本当はオレたちの会話を盗み聞きしていたにちがいない――と、カツオは思った。
 神保マネージャーはやり手の人物だが、食えない男でもあるのだ。

「それで」
 と、俊矢が尋ねた。
「もうひとつの情報というのは、いったいなんですか?」

 神保マネージャーは右手の中指をピンと立てて、眼鏡のずれを直した。
「今日、これからやってくる大賀烈くん――彼の年齢は、18歳です」

「……オレたちと同い年(おないどし)なんですか!?」

 カツオと俊矢は目をみはった。ふたりはまだ練習生だというのに、向こうはすでにプロで二度も試合をやっていて、ノックアウト勝利をおさめている。
 大きく水をあけられた――そんな思いがカツオたちの胸に込みあげてきた。

「カツオさん、今日のスパーリング、絶対におくれをとってはダメですよ! 月尾ジムの威信(いしん)にかけて、目にものを見せてやってください!」

 俊矢に言われるまでもなく、カツオはそのつもりだった。
 プロデビューは先を越されたけど、同じ階級の、同い年の相手に、実力ではまけたくない。
 相手がプロだろうと、たとえパンチが強かろうと、オレのボクシングなら相手を圧倒できる。スピードには絶対的な自信があるんだ。
 オレの高速アウトボクシングで度肝(どぎも)を抜いてやる――

 カツオのなかで『いい緊張感』が高まっていく。

 神保マネージャーの口もとに、かすかな笑みが浮かんだ。
「カツオくん、顔つきが変わりましたね。同い年だと知って戦意が急激に増したようですね。
 ――それでは、今日のスパーリング、がんばってくださいね」

 マネージャーは満足げな様子で、カツオの前から去っていった。

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