**********
カツオが鏡の前でフォームチェックのシャドーボクシングをやっているとき、件(くだん)の待ち人はやってきた。
月尾会長に案内されて、ふたりの男が練習場にはいってくる。
ひとりは角張った顔立ちの中年男性で、巌(いわお)のようなごつい体つきをしている。
白いポロシャツを着ていて、胸もとに『エムビーフィットネスクラブ』の刺繍(ししゅう)がほどこされている。
もうひとりは、Tシャツに、赤いジャージのハーフパンツ姿の若者で、両手にはすでにバンデージが巻かれている。
――彼が、大賀烈にちがいない。
月尾会長はカツオを呼び寄せ、対戦相手と引き合わせた。
「こちらはエムビージムの片倉(かたくら)会長と、大賀烈選手だ」
エムビージムの会長が「今日はよろしく」と声をかけてきた。
顔や体つきはごついが、声は温厚な感じの人だった。
いっぽう、大賀烈は――
カツオの顔を見るなり、ふん、と鼻で笑い、
「こいつか」
と、つぶやいた。
こいつ!?
初対面でいきなりこいつ呼ばわりされた!?
カツオは大賀烈の態度に困惑し、思考が停止した。
「カツオ、あいさつしろ」
月尾会長にうながされて、カツオははっと我(われ)に返った。
「……はじめまして、田中勝男(たなか かつお)です」
軽く頭をさげ、それから視線を大賀烈に向ける。
ものすごい形相(ぎょうそう)でカツオを睨(にら)んでいた。
顔だちそのものには年齢相応の少年らしさが残っているものの、ギラギラした眼光のせいで精悍(せいかん)な顔つきになっている。
肩幅が広く、たくましい体つきをしているが、身長はカツオよりも低い。おそらく155、6センチといったところだろう。
カツオは、大賀烈が名乗り返すのを待ったが、その気配はない。無言のままカツオを睨みすえている。
「……今日は、よろしくお願いします」
カツオは、烈に向かって右手をさしだした。対戦前の握手を求めたのだ。
烈は、視線を落としてカツオの右手を見た。
そして、平手で打ちつけるようにして、カツオの手を横になぎ払った。
パチィィン、という高い音が響き渡った。
ジムのなかが一瞬にして凍(こお)りついた。
練習中の選手や練習生たちが動きをとめ、こちらに視線を向けている。
烈は、カツオの目を見すえて言いはなった。
「ボクシングは闘いだ、馴(な)れ合いじゃねぇ」
カツオはあ然となった。
驚きすぎて声もでない。
烈は、言葉をつづける。
「そもそも、おれとおまえは対等じゃねぇ。おれはアウトボクサーをぶっ倒す成功体験を積むためにここへきた。
おれにとって、ただの経験値かせぎにすぎねぇんだよ、おまえは」
「烈、よさないか」
エムビージムの片倉会長が叱責(しっせき)したが、大賀烈は口をとざそうとはしない。
「今日のスパー、練習などという生ぬるい気持ちでやるつもりはねぇ。試合とおなじだ。おれは、おまえを全力で倒しにいく!」
ジム内がざわめきはじめた。
烈を見る練習生たちの目が、外敵に対するものになっている。
「いいだろう、そういうことなら――」
月尾会長が、不敵な笑みを浮かべて提案する。
「今日のスパー、試合形式でやろう。と言ってもスパーだから、ヘッドギアを着けて、グローブは14オンスでやる。だが、それ以外はすべて試合とおなじだ。ラウンドはC級の試合とおなじ4ラウンド、レフェリーがリングにはいって闘いをさばく――これでどうだ?」
「もちろんオーケーだ」
烈は即答(そくとう)した。
エムビージムの会長も、それでお願いします、と了承した。
「カツオはどうだ?」
月尾会長が尋ねてきた。
カツオは、あ然となっていた。
烈は、上目(うわめ)づかいでカツオをまっすぐ睨みすえたまま視線をそらさない。
刃物のようにギラギラ輝く眼光――まるでにくい敵(かたき)を見るような目だ。
最初から、ずっと無礼な男だった。
そしてこの態度、この言葉、この挑発……。
上等だよ!
そっちがその気なら、やってやる!
「やります! それでお願いします!」
カツオは、ふつふつと戦意がわきあがってくるのを感じた。
燃えたぎる闘志によって、身震いするほど心身が高揚している。
これは練習なんかじゃない! 実戦だ!
倒すか倒されるかの真剣勝負だ!
続きを読む