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赤コーナーにもどってきた烈は、困惑をあらわにしていた。
「なぜあんなに動けるんだ!? おれの全力のパンチがまともにヒットした。手応(てごた)えもあった。なのに、なぜだ!」
「落ち着け、烈!」
片倉会長は語気を強くして諭(さと)した。
「おまえのパンチはたしかに効いてる! 彼はもう体力の限界を超えている。いまは気力だけで動いているような状態だ。しかし、そんな状態じゃ長くはもたない。動けるのはせいぜいあと1ラウンドだ」
「…………」
烈は口をとざしている。
しかし、その表情はだいぶ落ち着きをとりもどしていた。
片倉会長は、烈の目をまっすぐ見つめて言った。
「いいか、烈。この闘い、おまえが思っているよりもうまくいっている。このままでいい。田中くんにはあの闘い方をさせておけ。あんなふうに一挙動(いっきょどう)の連打をしたらスタミナが大幅(おおはば)にロスする。この展開がつづけば、先に力尽きるのは向こうだ!」
烈の顔に覇気(はき)がもどった。
動揺は完全にぬぐい去られた。
片倉会長は、つづけて作戦の指示を与えた。
「烈、闘い方はいまのままでいい。ガード3で顎(あご)を守りながら間合いを詰めていけ。向こうの攻撃はブロックの上を叩いているだけの見せかけだ。思うぞんぶんやらせて疲れさせろ。
そして、フットワークに少しでもかげりが見えはじめたら、ステップ7で追い詰めろ。
追い詰める場所はコーナーだ! コーナーに追い詰めたら、相手はもうまわり込めない。コーナーに追い詰めた時点で、おまえの勝利だ!」
青コーナーにもどってきたカツオは、呼吸がひどくみだれていた。
滝本トレーナーは、カツオに深呼吸をさせた。
「息を吸え。吸え、吸え、もっと吸え、もっとだ……
よし吐け。吐け、吐け、もっと吐け、ぜんぶ吐け……よし、いいぞ」
深呼吸をしたことによって、ひとまず息のみだれは落ち着いた。
だが、消耗が激しいことに変わりはない。
それはそうだろう、いまは気力だけで闘っているような状態なのだ。動きはエネルギッシュであっても実際は体力の限界を超えている。
残り2ラウンドは、どうやってももたないな……。
敗色(はいしょく)は濃厚だった。
もはや与えられる指示もない。これ以上つづけてもカツオが倒されるシーンを見ることになるだけだ。
滝本トレーナーは、ここで棄権することも勇気ある決断だと思った。
だが――
「この闘い方じゃ、最後までもたない……」
カツオの口から、つぶやきがもれた。
「動けるのは、せいぜいあと1ラウンドだ。是(ぜ)が非でも、次のラウンドで勝負を決めないと……」
カツオの独白(どくはく)を聞いて、滝本トレーナーは仰天(ぎょうてん)した。
そして自分を恥じた。
カツオはまだ勝負をあきらめてはいない。状況を分析し、戦況が不利であることを知りながら、まだ勝つことを考えている。
「カツオ、おまえ……」
滝本トレーナーの声は、カツオには聞こえていないようだった。
カツオは思考の世界のなかにいた。
「次のラウンドで勝負を決めるには、ノックアウトをしなければならない。しかし、あの大賀選手を倒す方法などあるのだろうか……」
カツオの独白が、そこでとまる。
しばしの沈黙ののちに、カツオははっと目を見ひらいた。
「そうだ、オレにはまだあれがある!
でも、あれを決めるには……
いや、待てよ! その前にアレをやっておけば、決まるかもしれない!」
カツオは、何かをひらめいたようだった。
こいつ、たまげたやつだぜ! この状況で、何かを思いつきやがった!
これ以上は何も言うまい。ただカツオを信じて送りだすだけだ――
滝本トレーナーは、カツオのひらめきにすべてを賭ける覚悟を決めた。
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