2019年2月25日月曜日

異なるスピードの概念(2)

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 ニュートラル・コーナーで待機しているカツオは、目をみはっていた。

 倒れた!
 あの大賀選手が、オレのパンチで本当に倒れた!

 このコンビネーションが決まれば、絶対に倒せると思っていた。
 だが、実際に大賀烈が倒れている姿を見ると、『信じられない』というのが正直な気持ちだった。

 このワンツーを決めるチャンスは一瞬だった。
 クロス・アームブロックをしているときは攻撃ができない。だから攻撃に転じるとき、烈はクロス・アームブロックを解(と)いて通常のガードにもどす。その瞬間、防御でも攻撃でもない空白の状態になる。

 カツオは、その一瞬の隙(すき)をついたのだ。


「カツオのやつ、決めやがった!」
 青コーナーの滝本トレーナーは、歓喜の声をあげた。

 あの変則ワンツーを決めるために、通常とはちがうスピードをカツオに体得させる必要があった。
 つまり、反応のスピードだ。

 カツオの場合、パンチやフットワークなど手脚(てあし)のスピードはすでに申し分なかった。
 だが、反応速度というのはべつのスピードだ。相手の動きや状態を瞬時に読みとり、考えるよりも先に体が動く――そのスピードは、たとえ瞬発力にすぐれていても、たとえノー・モーションでパンチを打つことができたとしても、体現することはできない。
 反応速度を養うための特別な訓練が必要なのだ。

 そして、その能力を養うもっとも効果的な練習法が、ミット打ちだった。

 両手にミットを装着した滝本トレーナーが、カツオと向かい合う。
 ミットを装着した両手はだらりとさげている。
 その状態から、
「はい!」
 かけ声とともに滝本が両手をあげる。左手は額(ひたい)の高さ、右手は顎(あご)の高さに。

 カツオは、左手のミットに左ジャブを、右手のミットに右ストレートを叩き込む。それも、ミットがあがった瞬間にだ。
 ミットがあがってから打つまでに少しでも間(ま)があると、「おそい!」と滝本の容赦(ようしゃ)のない怒声がとぶ。

 ミットは、的(まと)としてはかなり小さい。
 その小さい的を瞬間的に正確にとらえる――この練習をくり返すことで攻撃の反応速度がアップする。相手が隙(すき)を見せた瞬間に考えるよりも先に体が攻撃をするようになる。

 変則ワンツーを決めるチャンスは一瞬だった。大賀烈がクロス・アームブロックを解き、攻撃を開始するまでのほんのわずかな時間だった。
 この隙をつくには、反応速度にすぐれていることが絶対条件だった。

 そしてカツオは、ミット打ちの特訓によってこのスピードを体得した。

 だが、いきなり実戦で使うとなると成功率はけっして高くはない。
 練習どおりの動きを本番で実行できる勝負強さ、メンタルの強さがないと決まらないのだ。

 しかし、カツオはやってのけた。

「カツオめ、成長しやがって! 大(たい)した男だよ、まったく!」

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