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第五章
練習する環境は整った
休養期間を終えて、カツオはジムワークを再開した。
「滝本さん、お願いがあります」
1週間ぶりにジムにやってきたカツオは、滝本(たきもと)トレーナーに会うなり言った。
「しばらくのあいだ、オレが考えたトレーニング・メニューで練習がしたいのですが、かまわないでしょうか?」
「ほう……どうしてだ?」
滝本トレーナーはカツオの思惑(おもわく)をあらかた察していたが、あえて問い返してみた。
カツオは、答えて言った。
「オレ、あれから大賀(おおが)選手に勝つ方法をいろいろと考えてみたんです。大賀選手とまた拳(こぶし)をまじえる機会がやってくるかどうかわかりませんけど、でも、彼に勝てるようにならないかぎり、前へは進めない気がするんです」
「ふむ……」
「大賀選手のような圧倒的なパワーをもつ相手に勝つ方法を、オレなりにいろいろ考えました。そして、オレの個性に合ったアイデアだけを残し、ふたつに絞(しぼ)り込みました。
イメージはすでにできあがっています。あとは、実戦で使えるのかどうか試すだけなんです」
やはりそうか、と滝本トレーナーは思った。
カツオは大賀烈(おおが れつ)に勝つ方法を、自分の頭で考えた。だから、その闘い方をモノにするために自分が考えたやり方で練習させてほしい、最後まで自分の力で成しとげたい――そう言っているのだ。
こいつ、たくましくなりやがって……。
滝本トレーナーはおもわず相好(そうごう)がくずれそうになるのをこらえ、厳格な口調をつくって言った。
「ふむ、そうか……よしわかった、いいだろう。しばらくのあいだ自由に練習させてやる。納得がいくまで自分の力でやってみろ」
「はい! ありがとうございます!」
カツオは深々と礼をし、練習へと向かった。
カツオのやつ、男の顔になったな――
滝本トレーナーはカツオの背中を見つめ、相好をくずした。
カツオは月尾(つきお)会長のところへ行き、俊矢(としや)とマスボクシングをする許可を求めた。
俊矢の指導を担当しているのは月尾会長なのだ。
月尾会長は、
「俊矢がスパーリングをやらない日なら、べつにかまわないぞ」
と、あっさり許可してくれた。
これで、今日から俊矢とマスボクシングをすることになった。
カツオの指名を受けた俊矢は、少しとまどっている様子だった。
「本当に、おれでいいんですか? マスボクシングは本気でパンチを当てないとはいえ、カツオさんとは級がちがいすぎると思いますが……」
俊矢はフェザー級の体格だ。身長で9センチ、体重ではおよそ10キロのひらきがある。
「いや、だからいいんだ」
カツオは言った。
「それぐらい体格差のある人とやったほうが、あの相手を想定した練習としてちょうどいい」
「あの相手って……大賀選手のことですか?」
カツオは、うなずいて答えた。
「カツオさん、さすがです! おれだったら、自分をひどく打ちまかした相手のことは忘れて気持ちを切り替えていると思います。そうしないと、またボクシングをやる勇気なんてもてないと思います。
なのに、カツオさんはまたあの相手と対戦したときのことを考えてるなんて、すごいです! 本当に、すごいと思います!」
俊矢は目を潤(うる)ませて感動している。
「俊矢は大げさだよ。こんなことを頼めるのは俊矢しかいないってのもあるんだ。なにしろオレの個人的な練習に付き合ってもらうんだからね。ほかの人には頼めないよ」
「光栄です! カツオさんがほかの誰でもなく、おれを選んでくれたなんて!」
俊矢はますます感動した。
カツオはさすがに気恥ずかしかったが、俊矢が快諾(かいだく)してくれたのは本当に嬉しかった。
これで、練習をする環境は整った。
あとは、自分の導(みちび)きだした攻略案が正しいかどうか、実際に体を動かしてたしかめるだけだ。
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