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今日は思いがけず星乃塚さんたちと一緒にボクシングの話ができて楽しかったな――
カツオは部屋のなかで先輩たちとすごした時間のことを思い返していた。
もちろん、ただ楽しかっただけじゃないぞ。すごくためになる話をいっぱい聞けた――
カツオは、星乃塚と霧山が語ったことを慎重(しんちょう)に思い返した。
もしも大賀選手のような圧倒的なパワーをもつ相手と闘うとしたら、霧山さんは得意の右ストレートを狙う闘い方をすると言っていた――
星乃塚さんは、1ラウンド目にジャブやフェイントでさぐりをいれて情報を集め、相手の力量や癖(くせ)を見きわめてから作戦を決めると言っていた――
どちらの闘い方も、カツオにはできなかった。
右をひたすら狙う、という闘い方は、当てれば1発でダウンを奪える右ストレートをもっていなければできない。
さぐりをいれてから作戦を立てる、というやり方は、テクニックや戦術の引き出しが多くなければできない。
だが、ふたりの意見は、大賀烈を攻略する闘い方を模索(もさく)していたカツオにたしかな方向性を与えてくれた。
「星乃塚さんも霧山さんも、自分の得意なことを活(い)かして勝つ方法を考えた。
……そうだ、それなんだよ!」
カツオは自分に言い聞かせるようにして独白(どくはく)する。
「自分の苦手な部分を克服できたらとか、自分の能力が相手に追いついたらとか、そんなふうに勝つことを先送りにしているようじゃプロではやっていけない。試合が決まったら闘いの日を先延ばしになんてできないんだ。
たとえ相手が自分より実力でまさっていたとしても、なんとかして勝たなくてはいけない。プロとはそういう世界なんだ。
そして、自分よりも強い相手に勝つためには――」
カツオは、強い口調で言った。
「自分の得意なことを活かすんだ!
長所を活かすことで困難を克服する――それこそが、もっともすぐれた方法なんだ!」
そしてカツオは自分の長所――すなわち『スピード』を使って勝つ方法を見いだすため、ただちに研究と考察にとりかかった。
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翌日――
着替えをすませた星乃塚と霧山は、練習場に移動した。
ふたりならんで、拳(こぶし)にバンデージを巻いていく。
「星乃塚――」
滝本トレーナーが声をかけてきた。
「頼んだディスク、カツオにとどけてきてくれたか?」
「もちろん、ちゃんと渡しましたよ。ただ地図はもう少しわかりやすく描(か)いてくれると助かりますけどね」
星乃塚は答えた。
しかし滝本トレーナーは去らない。不安げな面持(おもも)ちで星乃塚の顔を見ている。
となりに立っている霧山が肘(ひじ)で星乃塚を小突(こづ)いた。
はやく話してあげなさい、という合図だ。
星乃塚は、滝本トレーナーが知りたがっていることを言葉にして伝えた。
「カツオならだいじょうぶ、ちゃんと立ち直ってましたよ」
「そ、そうか……!」
「カツオは強い。俺たちが思っているよりもずっと強い男ですよ。
どうすれば大賀烈に勝てるのか、自分よりもパワーで圧倒している相手に勝つにはどうすればいいのか――その方法をすでに研究してましたからね、あいつは」
「何、大賀選手に勝つ方法を!?」
滝本トレーナーは目をみはり、そして相好(そうごう)をくずした。
星乃塚の報告は嬉しい驚きだったようだ。
「そうか、カツオのやつ、勝つ方法を……」
つぶやきながら、滝本トレーナーは去っていった。
そして、ジムワークをしている練習生たちに向かって、
「だらだらするな、休まず動け! どうした、ラスト30だぞ、とまらずに打って打って打ちまくれぇ!」
と、大きな声をはりあげた。
霧山が笑みを浮かべて、星乃塚に言った。
「滝本さん、元気になりましたね。安心しました」
そのとき、向こうから神保マネージャーがやってくるのが見えた。
星乃塚は、面倒(めんどう)なやつがきた、と言わんばかりに露骨(ろこつ)にいやな顔をして見せたが、神保マネージャーはまったく意に介(かい)さない。不敵な笑みを浮かべて近づいてくる。
「星乃塚くん――」
神保マネージャーは右手の中指で眼鏡のずれを直すと、尋問するような口調で言った。
「昨夜、カツオくんに会ってきたんですよね? よけいなことを言ったりしませんでしたか?」
「言ってねぇよ」
「本当ですか? 星乃塚くんの口のかるさは札付(ふだつ)きですからね。カツオくんを前にして黙っていられたとは、私にはとても思えないんですけどね」
「本当だ! 誓って言う、俺は何も言っていない!」
星乃塚は強い口調で――神保マネージャーがたじろぐほどの強い口調で、きっぱりと言った。
「…………」
神保マネージャーは驚いた表情のまま固まっている。
その隙(すき)に、星乃塚は小さな声で、
「よけいなことは」
と付け加える。
となりで霧山が、ぷっと吹きだすのが見えた。
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