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なぜ顎にパンチをいれると効くのか?
星乃塚は言葉をつづける。
「それと、もうひとつ言っておくが、大賀烈の打たれ強さは単にフィジカルが強いというだけじゃないぜ。カツオのパンチが効かなかったのは、ちゃんと理由があるんだ」
「……どういうことですか?」
「カツオと闘っているとき、あいつ、カツオのことを上目(うわめ)づかいでずっと睨(にら)んでなかったか?」
「はい。ずっと睨まれてました」
「あのスパーを俺のとなりで観(み)ていた俊矢も、『睨みながらボクシングをしていて不気味(ぶきみ)だ』と言っていた。
でもあれは、睨んでるわけじゃないぜ。結果的に、そういう目になるだけだ」
「それは、いったい……」
「顎(あご)だよ。顎を徹底的に引いてるんだ。だから、結果的に上目づかいになるのさ」
「…………!」
「顎を引くのはボクシングでは基本だが、あいつの顎の引き方は徹底している。
ふつう、構えているときは顎をしっかりと引けても、パンチを打っているときはどうしても顎があがってしまうもんだ。だが大賀烈の顎は、パンチを連打しているときでもけっしてあがらねぇ。
さすが片倉さんの秘蔵っ子(ひぞっこ)だよ、よく鍛えられてるぜ」
「そうだったのか……」
「いいか、カツオ。フィジカルが強いだけじゃ、打たれても効かないタフネスは不可能だ。どんなに体力にすぐれていようと、顎を打たれたら倒れちまう。人間の体はそういうふうにできてるんだ。
……ところでカツオ、顎を打たれるとなんで効いてしまうのか、知ってるか?」
星乃塚と霧山が、試すような目でカツオのことを見ている。
カツオは少し緊張しながら、答えた。
「えっと……簡単に言うと『てこの原理』です。
相手をノックアウトするには、脳にダメージを与えなければなりません。
ですので頭を瞬間的に強く揺らす必要があるのですが、頭のなかには脳がつまっていて重いです。そのため頭を直接叩いても瞬間的に強く揺らすのは困難です。
ですが、人間の頭蓋骨は後頭部のところで首の骨とつながっています。なので顎を強く打てば、そこが支点となって『てこの原理』が働き、頭を瞬間的に揺らすことができます。
頭とちがって顎はかるいので、拳(こぶし)が当たりまけすることなく、速度を保ったまま打ち抜くことができるからです」
ふたりの先輩は顔を見合わせ、笑みを浮かべた。
星乃塚はその笑顔をカツオに向けて、言った。
「正解だ、カツオ! よく知ってたな!」
ジムのアニキ分である星乃塚に褒められ、カツオは照れくさくも誇らしい気持ちになった。
「カツオ」
霧山が言葉をかけてきた。
「それじゃ、顎を引くとなぜ打たれ強さが増すのか、わかるか?」
第2問がきた。
カツオは落ち着いて答えた。
「その理由はいくつかあります。
まず顎を引いているときは自然と首に力がはいるため、打たれたときの衝撃に強くなります。
それから、顎を引くと肩やガードの奥に顎がかくれるため、直撃を受けにくくなるという効果もあります。
そして、いちばんの理由は、顎を引くことで頭部が胴体と一体化することです。
顎が浮いているときは頭部が単独の物体になるため、打たれたときに揺れやすくなります。
ですが、顎を引くと、胴体とくっついた状態になります。
これによって頭部が胴体と一体化するため、頭部が重い物体と化し、打たれたときの衝撃に強くなります」
「完璧な答えだ! カツオ、さすがだな!」
今度は霧山に褒(ほ)められた。
カツオはおもわず相好(そうごう)がくずれた。
「カツオ――」
星乃塚が真剣な声になって言った。
「そこまでわかっているのなら、俺が言いたいことも理解できるだろう。大賀烈はたしかに打たれ強いが、しかし、倒せないわけじゃない。どんなにフィジカルが強くても、顎をとらえれば効かせることができる。
動いていれば、どこかで顎があがる瞬間がきっとある。その一瞬をとらえれば、倒せるんだよ、おまえのパンチ力でも」
星乃塚の話を聞いて、カツオは勇気がわいてきた。
オレのパンチ力でも倒せる――そう思った瞬間に、大賀烈に勝つということが現実味のあることに思えてきた。
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更新
2019年2月18日 文章表現を一部改訂。