2019年1月1日火曜日

マスボクシング、スパーリング(3)

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 烈は順調に上達した。
 プロになり、2戦して、2戦ともノックアウトで勝った。

 だが、片倉はひとつ気がかりなことがあった。
 速いアウトボクサーと闘う練習ができないということだ。

 アウトボクサーを攻略する方法を、烈にはすでに教えてある。
 だがそれは、あくまでも知識だけだった。

 マスボクシングの相手は、片倉がみずからやっている。
 しかし、片倉は現役時代、強打を武器にするファイター・タイプの選手だったため、速いフットワークを駆使したり、サークリングで相手を幻惑するようなテクニックはもっていなかった。

 ファイター・タイプの選手にとってもっとも難敵なのが、速いフットワークを駆使するスピード・ボクサーだ。
 プロとして戦績を積み重ねていけば、いずれこの難敵と対戦しなければならなくなる。
 いきなり試合で対戦するとなると、かなり不利だ。その前に対人練習で経験を積んでおきたい。

 しかし、ちょうどいいスパーリング相手は見つからない。
 片倉は、そのことでずっと頭を悩ませていた。


 そんなある日、月尾ジムの神保(じんぼ)マネージャーが、エムビージムにやってきた。
 たまたま近くに用事があったのでその帰りに寄ったのだと言う。

 神保マネージャーは、事務所でしばし片倉と雑談をしたのち、
「大賀くんの練習を見学してもいいですか?」
 と言ってきた。

「それはべつにかまいませんが……」
 片倉は、少しとまどいながら答えた。
「ですが、見るものはあまりないと思いますよ。スパーの相手がいないので、シャドーやサンドバッグ打ちがメインですから」

「いえいえ、それが見られれば充分ですよ」

 神保マネージャーは練習場へでて、烈の練習を見守った。
 真剣な目だった。

 そして、15ラウンドの練習が終わると、神保マネージャーは片倉に向かって言った。
「思ったとおり、かなりの実力ですね。この目で見て確信しましたよ。まだ知名度のないジムからデビューしたのでボクシング界でもまったくの無名ですが、過去の2試合を観て、とんでもない逸材(いつざい)だと思っていました。ミニマム級であの筋力は、まさに『怪物』と呼ぶにふさわしいですね」

 片倉は複雑な心境になった。
 烈のことを褒(ほ)められるのは素直に嬉しいのだが、烈の才能をあっさりと見抜いてしまった神保マネージャーには脅威(きょうい)をおぼえる。

「大賀くん、スパーリングの相手がいなくてこまっているんですよね?」

「ええ、まあ……」

「そこで、ひとつ提案があるのですが――」
 神保マネージャーは右手で眼鏡のずれを直し、不敵な笑みを浮かべた。
「ウチのジムに、ちょうどいいのがいるんですよ。よかったらスパーリングをやってみませんか?」

「それはありがたい申し出ですが……いったいどんな選手なんです?」

「いや、選手ではなくて、まだプロ志望の練習生なんですけどね。実力のほうはすでにプロの試合で勝てるレベルに達しています。
 年齢は大賀くんとおなじ18歳、階級も大賀くんとおなじミニマム級――どうです、ちょうどいい相手だと思いませんか?」

 片倉は思案した。
 どう考えても『いい話』なのだが、それだけに何か裏があるように思えてしまう。

「ちなみに――」
 神保マネージャーは、言った。
「ウチのほうは、スピードを武器にしたアウトボクサーです。速いですよ、びっくりするくらいに」

 片倉は目をみはった。
 疑念など吹き飛んでしまった。
 スピードを武器にしたアウトボクサー……まさに片倉がずっとさがしつづけていた相手だった。

「そのスパー、ぜひお願いします!」
 片倉は、声を大(だい)にして答えた。

 こうして、あのスパーリングが実現することになったのだ。

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更新
2019年2月20日 文章表現を一部改訂。