2018年12月7日金曜日

逆転可能性にかける(3)

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 一瞬、体の力が抜けたのをカツオは感じた。
 でも、倒れてはいなかった。
 カツオの体は、なんとかもちこたえていた。

 次の瞬間、相手コーナーから、
「烈、ファイトタイプZだ!」
 という声があがったのを、カツオは聞いた。

 視界に映る烈の雰囲気(ふんいき)が変わった。
 全身からみなぎるオーラが、殺気のような迫力を放ちはじめたのだ。

 烈が、オーバーハンド(打ち下ろし)ぎみに右フックを放ってきた。

 カツオはとっさにガードをあげた。

 ズシャアアアア――

 烈のフックはガードに当たり、ものすごい音を発した。
 練習生たちが「うおおっ!」と声をあげ、ジムが驚愕(きょうがく)でざわめいた。

 もっとも驚いていたのは、パンチを受けたカツオだった。
 さっきまでのパンチとはぜんぜんちがう。
 スピードも、威力も、何もかもが桁違(けたちが)いだった。

「カツオ、踏んばれ!」
 星乃塚の声が聞こえた。
「ガードをあげて、直撃だけはさけろ!」

 カツオが動揺から立ち直るよりもはやく、烈の次の攻撃がとんできた。
 すさまじい勢いで放たれた左フック。

 グシャアアァァァ――

 派手(はで)な音をたてて、カツオの顔面にヒットした。

「ああ! カツオさん!」

「カツオォォォ!」

 ジムメイトたちが、悲鳴のような声をあげているのをカツオは聞いた。

 朦朧(もうろう)とする意識のなかで、カツオは思った。
 星乃塚さんが言っていたことは本当だった……彼はずっと力をセーブしてたんだ。
 これが、彼の全力のパンチ――

 体の感覚がなかった。自分の体を自分で動かしているという感覚がない。痛みも苦痛もない。ただ視界にはいってくる映像を見、耳にはいってくる音を他人事のように聞いている――そんな感じだった。

 烈が、ものすごい迫力で右フックを放つのが見えた。

 そして――

 ドシャアアァァァ!

 派手な打撃音が聞こえ、視界がまわった。

「ストーップ! そこまで!」

 月尾会長の声が聞こえた。
 力が抜けてくずれ落ちそうになるカツオの体を、月尾会長が正面から抱きとめる。

「カツオ、だいじょうぶか! 意識はあるか!?」
 耳もとで、月尾会長が訊(たず)ねてきた。

「……はい、だいじょうぶです」
 カツオは答えた。
 おもいのほかしっかりした声だな、とカツオは他人事のように思った。

「カツオ、このままゆっくり横にするぞ。抵抗したり力をいれたりするな」

 月尾会長は、カツオの体をあおむけに寝かせた。

 滝本トレーナーがリングに駆け込んできて、月尾会長と一緒にカツオの介抱(かいほう)をはじめる。
 マウスピースを取り、ヘッドギアをはずす。後頭部にアイスバッグ(氷嚢)を当て、グローブやシューズの紐(ひも)など体を締めつけているものをゆるめていく。

 そう言えば、試合でノックアウトされた選手がこんなふうに介抱されてるのを何回か見たことがあるな――
 カツオはそんなことを考えていた。
 そして、自分がノックアウトされたことをいまさらのように実感した。

 カツオの目から涙がこぼれ落ちた。
 泣いている自分に気づいたのをきっかけに、胸を突きあげるようなくやしさがこみあげてきた。
 カツオはあおむけに寝かされた状態のまま、むせび泣いた。

「だいじょうぶだ、カツオ」
 滝本トレーナーが、やさしく声をかけてきた。
「おまえはよくやった。だいじょうぶだ、何も恥じることはない。だいじょうぶだ」

 しかし、それらの言葉はなんの慰(なぐさ)めにもならなかった。
 惨敗したという事実を痛感させられただけだった。

 涙が、とめどなく流れ落ちた。

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