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オレの『いま幸せ』
ほかのジムからやってきた同い年のプロボクサーとスパーリングをして、惨敗した――
昨日のあの出来事を、カツオはふたりに語った。
話を聞き終えた誠一は、
「そうか……それは、つらいな」
と言い、わが事のように暗い表情になった。
賢策も、しずんだ顔をしている。
「わかるよ、僕も中学までサッカーをやっていたからね。自分が打ち込んでいることでまけるのって、本当につらいよね」
ボクシングに関しては素人(しろうと)であることをわきまえているのか、ふたりともそれ以上は言わなかった。
ふたりはただ、カツオに共感しただけだった。
だが、この共感は、カツオにとって救いになった。心がさらにかるくなったように感じる。
まるで誠一と賢策が、カツオの悲しみを分かち合うようにして三分の一ずつ受けもってくれたかのようだ。
「オレ、闘うのがこわくなっちゃってさ。ボクシングをつづけていく自信がないんだ……」
カツオは、心のなかにとどめていた思いを口にだした。
「へたれだったオレがいままでやってこれただけでも、よくがんばったと思う。きっとこれが、オレの能力の限界なんだ……いまは、そんなふうに思ってるんだ」
誠一と賢策に、言葉はなかった。
真剣な面持(おもも)ちでうつむき、考え込んでいる。
やがて、誠一が顔をあげて、言った。
「カツオが『ここでやめても未練や後悔はない』と言うのなら、それについてどうこう言うことはできないよ。これはカツオの問題なんだし、カツオの人生なんだから。
ただ、これだけは言える。たとえボクシングをやめたとしても、俺たちがカツオの友だちであることに変わりはない。何があっても、俺たちはカツオの味方だ」
「誠一くん……」
「でもまあ、本音(ほんね)を言うと、やっぱりちょっと残念だけどな。
カツオがプロボクサーになって試合をやるようになったら、俺は毎試合かならず会場に駆けつけて、『シュガーK』って大きな声でカツオを応援するんだって、ひそかに楽しみにしてたからな」
「「シュガーK!?」」
カツオと賢策は、顔を見合わせた。
誠一は言う。
「俺が勝手にボクサー田中勝男(たなか かつお)につけたニックネームだよ。会場で『カツオ』って叫んだら、なんだか上から目線で言ってるみたいで応援してる気にならないからな。敬意を表(ひょう)して『シュガーK』という呼び名で声援を贈ろうって決めてたんだ」
「シュガーK、か……」
賢策は言う。
「なんだかかっこいい響きだね。どういう意味なんだい?」
誠一は、答えて言う。
「Kは、カツオって意味のK。
そしてシュガーは『華麗(かれい)な』とか『美しい』って意味の言葉なんだ。
『拳聖(けんせい)』と呼ばれた天才シュガー・レイ・ロビンソン、
中量級黄金時代の主役をになったシュガー・レイ・レナード……
ボクシングの世界では、華麗な闘い方をするボクサーに『シュガー』の異名(いみょう)が与えられてきたんだ」
「へえ、そうなんだ……
でも、なんでシュガーが『華麗な』って意味になるんだ? シュガーって砂糖のことだろ?」
「それは……そういえば、どうしてなんだろうな?」
誠一と賢策は、カツオに視線を向けた。
カツオならとうぜん知っているだろう、という目だった。
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更新
2019年3月8日 半角括弧による読み仮名を一ヶ所追加。