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カツオが落ち込んでいると、俺たちまでへこんじまう
星乃塚(ほしのづか)は更衣室で着替えをすませ、練習場にでた。
拳(こぶし)にバンデージを巻いていく。
巻きながら、今日はいつもと雰囲気(ふんいき)がちがうな、と思った。
活気がないというか、さびしい感じがするというか、とにかく暗いのだ。
原因はわかっていた。
「カツオさんがいないと、ジムの雰囲気がちがいますね」
俊矢(としや)が声をかけてきた。
星乃塚のとなりに立ち、バンデージを巻きはじめる。
「俺もいま、そう思っていたところだ」
星乃塚は応(こた)えて言った。
「いなくなってみて、あいつの存在の大きさがわかるよな。なんて言うかこう、カツオがいるとジムの雰囲気が明るくなるんだよな」
「カツオさんのボクシング愛には、誰も敵(かな)いませんからね」
「ボクシング愛か……たしかにそのとおりだな。カツオほどボクシングに喜びを感じながら練習するやつはいねぇからな。
カツオを見てると『ボクシングっていいよな』って気持ちになる」
「そう、そうなんですよ! カツオさんがいると、おれたちまでボクシングに対する姿勢が前向きになるんです!
やっぱり、このジムにはカツオさんがいないと……」
俊矢の声は尻すぼみになり、そして途絶えた。潤(うる)みがちな瞳がいつも以上に潤んでいる。
昨日のスパーリングのことを思いだしたのだろう。俊矢にとってカツオはいちばん親(した)しいジムメイトだ。昨日のことは、俊矢にとってかなりショックだったにちがいない。
星乃塚と俊矢は、無言のまま拳にバンデージを巻いていく。
「……星乃塚さんの言っていた『アレ』がなんなのか、なんとなくわかりましたよ」
片方の拳にバンデージを巻き終えたとき、俊矢がふたたび口をひらいた。
「カツオさんに、互角以上の相手と闘う経験をさせる、というジムぐるみの計画――それが、『アレ』なんですね?」
「ほぼ正解だ」
と、星乃塚は答えた。
「やっぱり、そうでしたか……カツオさん、スパーではいつも相手を圧倒してましたからね。あのスピードに対抗できる相手はこのジムにはいない。だから、カツオさんと互角以上の闘いができる相手をさがしてきた。
……考えたすえに、そういうことなんじゃないかって思い至ったんです。ウチのジムの人たちがいかにも考えそうなことですからね」
「そうだな。しかし、『ほぼ正解』ではあるが、完全に当たってるわけじゃない」
「どういうことですか?」
「カツオと互角以上の闘いができる相手じゃなく、『カツオよりも明らかに強い相手』をさがしてきたってことさ」
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