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陽(ひ)が暮れてきた。
いつもなら自転車で月尾ジムに向かっている時間だ。
習慣とちがうことをするというのは落ち着かない。
家にいても悶々(もんもん)とネガティブなことばかり考えてしまう。
頭痛もだいぶおさまってきたことだし、少し外の空気を吸ったほうがいいかもな……。
カツオはそう思い、町内をかるく散歩することにした。
いつも見ている地元の町並みが、なんだかちがって見えた。
暗く、よどんでいるように見えるのは、夕闇がせまっているせいばかりではない。
敗北感に打ちのめされると景色まで重くしずんでいるように見えるものなのか……
まるで廃墟(はいきょ)のなかをさまよっているかのような気分だった。
「カツオ!」
とつぜん名前を呼ばれ、カツオははっとなった。
正面に、誠一(せいいち)が立っていた。
「どうしたんだ、そんなうつろな目をして? あやうくぶつかるところだったぞ」
「…………」
カツオは目をふせた。
なんだか自分という存在が恥ずかしく思えたのだ。
カツオは目をふせた。
なんだか自分という存在が恥ずかしく思えたのだ。
誠一は、カツオの幼なじみだ。家が近所で、ものごころがつく前からずっと一緒にすごしてきた。
ふたりは同い年だが、カツオにとって誠一は、やさしい兄のような存在だった。
からかわれたり、いじめられたりしがちなカツオを、誠一はいつも守ってくれた。
やさしくて、誠実で、正義感が強くて、いつもカツオの味方でいてくれる――
そんな誠一を、カツオはいつも慕(した)っていた。
去年の11月、ボクシングをはじめる決心をしたとき、
『いつまでも誠一くんに頼ってばかりじゃダメだ。立派な「男」になって、誠一くんを安心させてあげたい』
という想いを、カツオは胸にいだいていた。
あれからおよそ9ヶ月が経ち、その願望は実現できたと思っていた。
プロを目指してボクシングに打ち込むことで、ひとりの『男』として自立できたと思っていた。
だがその自負(じふ)も、昨日の敗北でこなごなに打ちくだかれてしまった。
いまのオレは、小動物系のへたれだ……。
カツオは、目をあげることができなかった。
「カツオ、元気ないな……何かあったのか?」
やさしい声だった。
カツオはつい、むかしのようにあまえたくなる。
だが、ここであまえてしまうと、さらにみじめになるような気がした。
「……いや、なんでもないよ」
カツオはそう答えた。
誠一は、カツオの顔をじっと見つめている。
やがて、
「そうか」
とだけ言い、誠一はカツオの前から去っていった。
「……誠一くん、ありがとう。心配してくれて」
カツオは、去っていく誠一の背中に向かってつぶやいた。
「でも、ダメなんだよ。いまのオレには慰(なぐさ)めの言葉がつらいんだ。よわい自分を思い知らされるから……」
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