**********
「だいじょうぶか、カツオ」
滝本トレーナーは、カツオに声をかけた。
カツオは、青コーナーの前で呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしている。
「どうしてだ……オレのフットワークでまわり込めない。オレのほうが速く移動しているはずなのに……」
カツオはつぶやきをもらした。
絶対的な自信をもっていたフットワークが通用せず、ショックを受けているようだ。
やはり、相手のステップワークの秘密に気づいていないようだな……。
滝本トレーナーは思った。
だが、それを教えてやるわけにはいかねぇ……それは、できねぇんだ!
滝本トレーナーは唇を強くかみしめ、黙(もく)して語らずの意志をかためた。
次のラウンドが、カツオにとって苦しいものになると知りながら……。
俊矢はビデオの録画を一時停止にし、呆然となっている。
そのとなりで、星乃塚はカツオのいる青コーナーを見つめていた。
おそらくカツオは、大賀烈のステップの秘密に気づいていない。
なぜゆっくり歩くようなステップの相手につかまってしまうのか――
そのことは、セコンドについている滝本トレーナーが教えてやるべきなのだが……
滝本トレーナーが、カツオにアドバイスしている様子はない。
今回のスパーはやっぱりアレだったか……
しかし、このままじゃ次のラウンドはやばいぜ。さすがに黙って見てるなんてできねぇよな――
星乃塚は、カツオのいる青コーナーに向かって歩(ほ)を進めようとした。
そのとき、背後からぽんと肩をつかまれた。
「星乃塚くん、何をしようとしてるんですか?」
びくぅ――
星乃塚がおそるおそる後ろを振り返ると、神保マネージャーが微笑をたたえていた。
マネージャーがこういう笑い方をしているときはおそろしいということを、星乃塚は経験で知っている。
「いや、だってよ……カツオがピンチなのに、じっとしてなんていられねぇよ」
「ダメですよ、よけいなことを言っては。滝本トレーナーが黙っているのは、ちゃんと意図があってのことなんですからね。その意図を星乃塚くんが台無しにしてどうするんですか」
「そうは言っても、このままじゃカツオが……」
「星乃塚くんも気づいているのでしょう? このスパーリングがアレだということに」
「…………」
「だったら、わかってますよね、星乃塚くん?」
おだやかな口調ではあったが、眼鏡の奥でひかる瞳には有無(うむ)を言わさぬ厳格さがあった。
神保マネージャーは、右手の中指を立てて眼鏡のずれを直し、視線を俊矢にうつした。
「俊矢くん、もうすぐインターバルが終わりますよ。しっかりと自分の役目をはたしてくださいね」
またしても、おだやかでありながら有無を言わさぬ口調。
「あ……はい!」
俊矢は思いだしたかのようにビデオカメラを構え、録画の準備を整えた。
続きを読む