2018年10月26日金曜日

サークリング・テクニックの利点(3)

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 リングでは、カツオが速いフットワークでサークリングし、烈が頭をふりながら前進して追いかける、という展開がつづいている。

 カツオがジャブを放った。
 パーン、という高い音をたてて、烈の顔面をきれいにとらえた。

「ナイスジャブ!」
 俊矢が声をあげる。
「カツオさん、絶好調ですよ! ウィービングを使ったところで、今日のカツオさんには通用しませんよ」

「そうだな。動く的(まと)にまどわされることなく、しっかりと相手を見て正確にとらえている。カツオのやつ、いい目をしてるぜ」

 カツオは軽快なフットワークで移動しながら、正確なジャブを烈の顔面に叩き込んでいく。
 そのたびに俊矢が「よし」、「ナイスジャブ」と大きな声をあげる。

「今日のカツオさん、ジャブもすばらしいけど、やっぱりフットワークがすごいです! 開始から一度もとまることなく、ずっと移動しつづけてますよ!」

「そう、それがサークリングのもうひとつの利点だ」
 星乃塚は説明する。
「相手を中心にして円を描くように移動する――それをつづけているかぎり、とまることなく移動しつづけることができるんだ。円には行きどまりなんてないからな」

「なるほど……つまり、カツオさんの速くて巧みなフットワークがあれば、大賀選手に接近される心配はないということですね?」

 俊矢のその問いに、星乃塚は答えなかった。
 このまま順調に終わるとは思えなかったのだ。

 向こうのセコンドはあの片倉衛二さんだ。このまま勝たせてくれるとは思えねぇ。
 かならず何か仕掛けてくる……。

 それに、もうひとつ気になっていることがあった。
 カツオのセコンドだ。
 いつもは怒声をはりあげるようにして指示をだす滝本トレーナーが、さっきからひと言も発していないのだ。

「このスパー、やっぱりアレだな……」

 星乃塚は確信した。そしてこのスパーリングがアレである以上、かならず何かが起こる。
 カツオにとってきびしい何かが……。

 カツオが、踏み込んでワンツーを放った。
 パパーン、と高い音をたてて、烈の顔面にクリーンヒット。

「よっしゃあ、ナイスパンチ!」
 俊矢がひときわ大きな声をあげた。

 俊矢だけでなくジムの方々(ほうぼう)からも、
「よし!」
「ナイス!」
 という声があがった。
 練習生たちの多くが、練習を中断してこのスパーリングに見入(みい)っている。

 烈が、反撃の右フックを放った。
 振りが大きい。
 カツオはバックステップで間合いをはずし、余裕をもって空振りさせた。

「烈、大振りするな!」
 赤コーナー側から声があがった。
「まだ距離が遠い! まずは間合いを詰めろ!」

 烈は、じりじりとカツオに向かって前進する。
 しかし、カツオのフットワークは速い。リングに円を描くようにして高速移動し、ロング・レンジ(遠い間合い)をキープしている。

 カツオが、ワンツーを放った。
 パパン、と顔面にクリーンヒット。
 さらに体をひねりもどす力を利用して、左フックを放つ。
 パチーン!
 返しの左フックも、烈の顔面をきれいにとらえた。

「当たった! いずれもクリーンヒットですよ!」
 俊矢が興奮して言う。
「向こうはカツオさんのスピードについてこられません! 闘いの主導権は、すでにカツオさんのものですよ!」

「だといいが……」

 星乃塚は、まだ楽観はできないと見ていた。
 カツオのパンチがクリーンヒットしたにもかかわらず、烈にはまったく効いている様子がないのだ。
 そのタフネスからフィジカルの強靱(きょうじん)さが見てとれる。
 不気味(ぶきみ)な相手だった。そして、パンチが当たってもダメージにつながっていないうちは、カツオのペースだとは言い切れないのだ。

 そのとき、
「烈、作戦変更だ!」
 片倉会長が、声をはりあげた。
「ガード3だ!」

 その指示が発せられた直後、烈の構えが変わった。

 練習生たちが、どよめきの声をあげる。
「な、なんだ、あの構えは!?」

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