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いつの日か、プロのリングで
カツオは烈と片倉会長を見送るため、ジムの玄関に向かった。
カツオのかたわらには、滝本トレーナー、月尾会長、神保マネージャーの3人が付きしたがっている。
「今日は、ありがとうございました」
カツオは、烈と片倉会長に深々と頭をさげた。
片倉会長のいかつい顔に笑みがひろがる。
「こちらこそ、どうもありがとう。今日はわれわれのほうもたくさん学ばせてもらったよ。
正直、田中くんには烈を倒せる力はないと思っていた。だから、田中くんがノックアウトを狙っていることを最後まで見ぬくことができなかった。セコンドとして驕(おご)りがあったんだ。今日はそれを思い知らされたよ。
本当にいい勉強になった。どうもありがとう!」
「田中選手」
と、烈が声をかけてきた。
カツオは『選手』という言い方をされたことにとまどいをおぼえたが、敬意をあらわしてのことだと気づき、カツオはその言葉を真摯(しんし)に受けとめた。
烈は、カツオのことを真正面から見つめている。
眼光からははじめて会ったときのような敵意は感じられない。澄み切ったさわやかな目だった。
「今回は完敗だった。敗因は、クロス・アームブロックに頼りすぎたことにある。そのせいで、クロス・アームブロックの欠点につけこまれてしまった」
この言葉を聞いてカツオは心底(しんそこ)驚いた。
彼は敗北のショックからすでに立ち直っている。そして敗因を冷静に分析している。
カツオは敗北のショックから立ち直るのに丸一日かかった。それも誠一と賢策の助けを借りてだ。
「そして――」
烈は言葉をつづけた。
「田中選手の勝因は、長所を活(い)かす闘い方に徹(てっ)したことだと思う。もしパワーでおれに対抗しようとしていたら、わずか1ヶ月たらずでリベンジを果たすなんてできなかっただろう。
得意なスピードを使って勝つ――それに徹したからこそ、おれのパワーボクシングを凌駕(りょうが)できたんだ」
すごい、とカツオは思った。自身の敗因だけでなく、カツオの勝因まで分析している。
しかもその分析はおもいっきり的(まと)を射ていた。
そう、カツオは圧倒的なパワーをもつ相手に勝つ方法として、自分の長所であるスピードを活かすやり方を選択したのだ。
「ところで」
と烈が言う。
「シュガーKというのは、田中選手のリングネームなのか?」
「はい、そういうことになりそうです」
「シュガーKか……田中選手にぴったりだな。ファイト・スタイルといい、メンタルの強さといい、田中選手ならシュガー・レイを継承するボクサーになれるだろう」
「いまはまだ身の丈(たけ)を大きく超えています。シュガーを名乗るからには、もっともっと努力しなければなりません」
烈の顔にかすかな笑みが浮かんだ。
はじめて見る笑顔だった。
「今日のところはまけてしまったが、しかし大局的(たいきょくてき)に見れば、まだ決着はついていない。対戦成績は1勝1敗の五分(ごぶ)――決着をつけるにはもう1戦必要だ。
そして、おれたちの第3戦――ラバーマッチは、プロのリングでやりたい」
「大賀選手……」
「はやくプロになれ。
そして勝て。
おれたちがおなじ階級である以上、ともに勝ちつづけているかぎり、かならず対戦する日がやってくる。おれたちの決着は、そのときにつけようじゃないか」
「はい!」
カツオは大きな声で応(こた)えた。
片倉会長が、「そろそろ行こう」と烈をうながした。
烈は、月尾会長、滝本トレーナー、神保マネージャーの3人に向かって「ありがとうございました」と礼儀正しく頭をさげた。
そして烈は、カツオに向き直った。
「また会おう、シュガーK」
微笑みながら、右手をさしだす。
カツオは、はじめて会った日のことを思いだした。
烈はカツオの手を払いのけ、握手をこばんだのだ。
その烈がいま、自分から手を差しだしている。
「はい! いつの日か、プロのリングで!」
カツオは、烈と固い握手をかわした。
<完>
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