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3月――
プロ候補生のオレたちの練習は激しさを増し、スパーリングをやる頻度(ひんど)が多くなった。
スパーリングというのは、ヘッドギアを着用して、試合よりも大きいグローブを着けておこなう実戦練習のことなんだけど、月尾ジムのスパーリングは激しいことで知られている。
練習とは名ばかりの真剣勝負なんだ。
とはいえ、オレと俊矢がスパーリングで拳(こぶし)を交えることはない。階級がちがいすぎるからだ。
オレは最軽量級のミニマム級(約47・6キロ)なんだけど、俊矢はその六階級も上のフェザー級(約57・1キロ)の体格なんだ。
俊矢のボクシングは荒々しかった。
練習同様、全力で打ちまくる闘い方で、たとえ相手のパンチをもらってもひるむことなく前進してパンチの連打を放っていく。
セコンドの会長が、熱い声を張りあげる。
「ガードをあげろ、俊矢! 構えを崩すな! 右の拳(こぶし)を顎(あご)の横につけろ!」はっきり言ってテクニックはない。防御もあまい。
でも、アグレッシブ(攻撃的)で強かった。
「まるで野獣のようなファイトだね」
オレが声をかけると、俊矢は照れくさそうに微笑した。
「カツオさんと階級がちがって良かったです。おれみたいな泥臭(どろくさ)いボクシングじゃ、カツオさんの速いフットワークについていける自信なんてありませんから」
「それはこっちの台詞(せりふ)だよ。あの手数(てかず)で打ちまくられたら、オレのフットワークでさばき切れるのか自信がもてないよ」
オレたちは互いのボクシングを認め合い、そして、微笑み合った。
「でも、会長の言うとおり構えを崩してしまう癖はなおしたほうがいいよ。打ち合いが得意なファイターであっても防御や駆け引きは必要だからね」
「はい」
「たぶん、右の拳を顎の横につける構え方をさせているところを見ると、会長は俊矢にロベルト・デュランみたいなボクシングをやらせようと思ってるんじゃないかな」
「ロベルト・デュラン……?」
俊矢は小首をかしげた。どうやらデュランのことを知らないらしい。
まあ、ひとむかし前のボクサーだし、知らなくても当然か。
「四階級を制覇したパナマの英雄だよ。『石の拳(いしのこぶし)』の異名をもつ伝説のハードパンチャーさ」
「石の拳! なんだか、かっこいい響きですね」
「デュランの全盛期はメチャクチャすごかったよ。勇敢で、野性的でありながら天性の防御勘とカウンター・テクニックを備えていて、まさしくスーパーチャンピオンだったよ」
「ロベルト・デュラン……どんなボクシングなのか、見てみたいです」
「だったら、今度の日曜にでもオレの家にきなよ。オレのコレクションのなかにはデュランの動画もいっぱいあるから、一緒に観ようよ」
「え!? でも、おれなんかが……」
「よし、決まりだ! 日曜はオレの家で『石の拳・鑑賞会』だ」
オレは、ちょっと強引に約束をとりつけた。
今度の日曜は、俊矢と一緒にボクシング動画鑑賞だ。
楽しみだな。
おもいっきり、ボクシングを語るぞ!
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