※今回はボクシングに関するエッセイです
***
本番前になると緊張する具体的なメカニズムについて、まだ確かなことはわかっていません。
ですので、何を語っても仮説になってしまうのですが――
僕自身は、プロボクシングの世界にいたときの経験から、
「緊張とは、心の準備だ」
という『答え』を持っています。
その仮説が理解しやすいように、ひとつエピソードをご紹介いたします。
最強の敵に勝つために
怪物チャンピオンに挑戦
1974年――
モハメド・アリが、ヘビー級タイトルに挑戦することが決まりました。
※イメージ(本条克明:画)
相手は、殺人的なハード・パンチを持っている怪物チャンピオン、ジョージ・フォアマン。
当時、モハメド・アリは年齢的に峠を越えていて、少し衰えが見えはじめていました。
そして相手は、怪物チャンピオンです。
記者たちは、
「アリはただ負けるだけでは済まない。フォアマンに選手生命を奪われることになる」
こぞって、そう書き立てました。
そして相手は、怪物チャンピオンです。
記者たちは、
「アリはただ負けるだけでは済まない。フォアマンに選手生命を奪われることになる」
こぞって、そう書き立てました。
試合数週間前のスパーリングで不調
試合を数週間後に控えた頃、アリは記者たちの前でスパーリングを公開します。
※スパーリングとは、防具(ヘッドギア)と試合用よりも大きいグローブを着用しておこなう実戦練習のことです。
スパーリングの相手は、ラリー・ホームズ。
ラリー・ホームズは、のちにヘビー級チャンピオンになり一時代を築く選手ですが、この当時はまだ無名の若手ボクサーです。
スパーリングがはじまります。
アリのボクシング・スタイルは、
「蝶(ちょう)のように舞い、蜂(はち)のように刺す」
と形容されるとおり、速いフットワークを駆使しておこなうアウト・ボクシングです。
※アウト・ボクシングとは、接近戦を避け、離れた間合いで戦うボクシング・スタイルのことです。
ところが、アリはうまくフットワークが使えません。
若手で、ずっと格下のボクサーであるラリー・ホームズに攻め込まれ、ロープに追い詰められてしまいます。
アリは、ホームズのパンチを防ぐことで精一杯です。
ずっとロープに追い詰められたまま、ガードを固めて、防戦一方になっています。
これを見た記者たちは、
「若手のホームズを相手にあのざまでは、フォアマンとやったら万にひとつの勝ち目もないぞ」
と言い合い、アリの敗色が濃厚であることを記事にして書き立てます。
「若手のホームズを相手にあのざまでは、フォアマンとやったら万にひとつの勝ち目もないぞ」
と言い合い、アリの敗色が濃厚であることを記事にして書き立てます。
ロープ・ア・ドープ作戦
そして、試合の日がやってきます。
第1ラウンド――
アリは得意のアウト・ボクシングで、怪物チャンピオンのフォアマンに対抗します。
フットワークを使って、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という闘い方を試みますが、フォアマンの攻め込みが激しくて、うまくいきません。
第2ラウンド――
アリは戦法を変えます。
みずからロープを背負い、ガードを固め、フォアマンに攻めさせたのです。
まともな戦法では勝ち目はない――そう思ったアリは、みずから人間サンドバッグと化して、フォアマンに力いっぱい攻めさせます。
フォアマンが疲れるのを待つ作戦をとったのです。
のちに、アリみずから「ロープ・ア・ドープ」と名付けた作戦です。
ラウンドが進み、第8ラウンド――。
フォアマンの動きが、目に見えて鈍りはじめました。
渾身(こんしん)の力でハード・パンチを打ちつづけたため、スタミナが切れてしまったのです。
フォアマンの動きが、目に見えて鈍りはじめました。
渾身(こんしん)の力でハード・パンチを打ちつづけたため、スタミナが切れてしまったのです。
アリは、このときを待っていました。
ショートパンチを打ちながら素早くまわり込み、左フック、右ストレートのコンビネーション・ブローを、フラッシュ(閃光)のようなスピードで叩き込みます。
フォアマンは、もんどりを打って崩れ落ちます。
アリの逆転ノックアウト勝利です。
アリの逆転ノックアウト勝利です。
後日談 スパーリングで劣勢だった理由
この試合はのちに「キンシャサの奇跡」と呼ばれ、ボクシング史上もっとも有名な逆転劇として語り継がれることになるのですが――
この試合、ちょっとした後日談があります。
記者たちは、試合が終わったあとになって、ようやく気づいたのです。
なぜアリは、試合前のスパーリングで若手のラリー・ホームズに攻め込まれ、防戦一方になっていたのか――
その真実を。
アリは、ホームズに攻め込まれていたわけではありません。
もしも自分の得意なアウト・ボクシングが通用せず、フォアマンの強打を浴びるという最悪の試合展開になった場合、どうやってそれを切り抜け、どうやってそこから逆転するか――
アリは、それをひそかに練習していたのです。
本番前の緊張は、潜在意識による調整
本番前の緊張というのは、潜在意識がこれとおなじことをやっている――
僕は、そう確信しています。
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アリは、最強の敵に勝つために、最悪の事態を想定して、そこから逆転する方法をシミュレーション(予行演習)しました。スパーリングで、得意のアウト・ボクシングはやりません。
得意の勝ちパターンについては、いま練習しなくてもうまくできるからです。
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本番前になると、潜在意識がこれをやるんだと思います。
つまり、最悪の状況になってしまった場合を想定し、そこからどうやって挽回して、どうやって結果をだすのか――
それをイメージして、無意識下でシミュレーションをくり返しているということです。
潜在意識が最悪の事態をイメージしているのですから、そりゃ心が張り詰めるでしょうし、不安にだってなりますよ。
でもそれは、
「どんな状況になったとしても、かならず結果をだす」
という決意で、潜在意識が力を尽くしているがゆえのことです。
ですので、不安を打ち消そうとしたり、不安から逃げようとしたりして、潜在意識の努力をさまたげないようにしましょう。
本番前は、緊張して、不安になりましょう――
潜在意識と一緒に。
「私は、こわい……」
「不安だ……」
正直に認めてしまいましょう。
その上で、最後にこう付け加えましょう。
「それでも私は、かならず結果をだす!」
「たとえ何があったとしても、最後にはかならずうまくいく!」
あなたが不安から逃げずに緊張し、なおかつ結果にこだわるならば、あなたは潜在意識と同調します。
きっと、良い結果に結びつくと思いますよ。
※このエッセイは、本条克明が以前に運営していた『本条克明ライターズブログ』というサイトに掲載した記事を改訂したものです。
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2019年1月30日 文章表現を一部改訂。